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	<title>岡田清先生の「物流清話」</title>
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	<description>物流や通運の歴史について造詣が深い岡田清先生（成城大学経済学部名誉教授）によるコラムを、毎月２５日に掲載していきます。２５日が休日の時は休前日に掲載します。</description>
	<pubDate>Wed, 25 Apr 2012 00:00:24 +0000</pubDate>
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		<title>第43回　アメリカの鉄道政策史（１７）　州際通商法の新展開へ</title>
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		<pubDate>Wed, 25 Apr 2012 00:00:24 +0000</pubDate>
		<dc:creator>t-renmei</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[物流]]></category>

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		<description><![CDATA[				　アメリカにおける連邦政府の公共政策としての鉄道政策（民営化される以前の公益事業政策）は、「州際通商法」（Interstate Commerce Act. of 1887）の制定によって確立した。19世紀末のことである。この頃にはアメリカではすでに会社法が成立していたから、株式会社形態の「持株会社集団」（トラスト）が形成されていった。
				　このような企業集団はアメリカに固有な発展を遂げたものである。日本語では、古くからトラストを「企業合同」と訳してきた。ちなみに、カルテル（企業連合）、コンツェルン（企業同盟）などの用語があり、財閥（コンツェルンの日本版）は日本生まれの企業結合である。いずれも複雑な「人的結合」あるいは「資本的結合」によって成立したものである（古くは「企業形態論」という講座もあったが、会計学の財務諸表論の中で、企業の「連結関係」が問題になったり、企業の垂直的企業間関係等で注目されている）。　 
				　アメリカ経済の工業化過程（南北戦争以後）で鉄鋼業や鉄道業、石油精製業などの発展過程の中でトラスト・バーステイング（トラストブーム）によって生まれたものである（企業の独占化というイメージが先行していたから、悪いイメージが強かった）。アメリカの鉄道は、1899年から1900年１１月の一年余りの間に2万5000マイルが大企業傘下に入り、1906年には全国の鉄道22万5000マイルの3分の2が7グループの企業集団に含まれた。企業集中が一挙に進んだ感じである。それは1893年の大不況が発端である。かなりの中小鉄道業がモルガンやカーン・レーブなどの（投資）銀行資本の傘下に入った。ちょうどその頃アメリカ生まれの「シャーマン・アンタイ・トラスト法」（1890年）が成立したが、その3年前に州際通商法が成立しており、いずれも後世にアメリカ経済を揺るがす大きな影響を残すことになった法律であるが、当初はこの2つの法律は直接関係はなかった。産業政策としての州際通商法成立後のしばらく間は、鉄道の差別運賃、リベート、株式操作（株式水増しなどなど比較的早くからキャピタリゼーションの一環としての操作）などが広く行き渡っており、荷主などから不満や規制を求める声が強かった。旅客輸送で早くから注目されていたのは無料パスであるが19世紀後半にはかって荷主などに無料パスを配布するなどの操作があった。
				　鉄道業としての経営のやり方（最近の産業組織論の用語で言えば「市場行動」）は各社別に違っていた。そんなことから利用者である荷主（農民）から不満がコミッショナーのところに届くようになった。州政府から連邦政府に規制政策を移管してもよくなるどころかかえって悪くなるという事態になると州政府と連邦政府の緊張関係が高まり州政府が勢いを強める。コミッショナー制度も批判にさらされる。紛争の裁判（司法的判決）は停滞するようになり、規制政策の機能が低下する。その繰り返しから19世紀末には「鉄道問題」は政治問題になった。グレンジャー・ムーブメント（農民運動）の再来である。多くの農民は鉄道の独占に原因があると考えるようになった。
				　鉄道に対する規制政策は復活するようになった。1つは刷新運動（プログレッシブ・ムーブメント）であり、もう１つは新しい、エネルギッシュな大統領セオドア・ルーズベルトTheodore Roosevelt（１８５８－１９１９） が登場したことである。大統領は、早速改革に乗り出した。
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			<content:encoded><![CDATA[				<p>　アメリカにおける連邦政府の公共政策としての鉄道政策（民営化される以前の公益事業政策）は、「州際通商法」（Interstate Commerce Act. of 1887）の制定によって確立した。19世紀末のことである。この頃にはアメリカではすでに会社法が成立していたから、株式会社形態の「持株会社集団」（トラスト）が形成されていった。</p>
				<p>　このような企業集団はアメリカに固有な発展を遂げたものである。日本語では、古くからトラストを「企業合同」と訳してきた。ちなみに、カルテル（企業連合）、コンツェルン（企業同盟）などの用語があり、財閥（コンツェルンの日本版）は日本生まれの企業結合である。いずれも複雑な「人的結合」あるいは「資本的結合」によって成立したものである（古くは「企業形態論」という講座もあったが、会計学の財務諸表論の中で、企業の「連結関係」が問題になったり、企業の垂直的企業間関係等で注目されている）。　 </p>
				<p>　アメリカ経済の工業化過程（南北戦争以後）で鉄鋼業や鉄道業、石油精製業などの発展過程の中でトラスト・バーステイング（トラストブーム）によって生まれたものである（企業の独占化というイメージが先行していたから、悪いイメージが強かった）。アメリカの鉄道は、1899年から1900年１１月の一年余りの間に2万5000マイルが大企業傘下に入り、1906年には全国の鉄道22万5000マイルの3分の2が7グループの企業集団に含まれた。企業集中が一挙に進んだ感じである。それは1893年の大不況が発端である。かなりの中小鉄道業がモルガンやカーン・レーブなどの（投資）銀行資本の傘下に入った。ちょうどその頃アメリカ生まれの「シャーマン・アンタイ・トラスト法」（1890年）が成立したが、その3年前に州際通商法が成立しており、いずれも後世にアメリカ経済を揺るがす大きな影響を残すことになった法律であるが、当初はこの2つの法律は直接関係はなかった。産業政策としての州際通商法成立後のしばらく間は、鉄道の差別運賃、リベート、株式操作（株式水増しなどなど比較的早くからキャピタリゼーションの一環としての操作）などが広く行き渡っており、荷主などから不満や規制を求める声が強かった。旅客輸送で早くから注目されていたのは無料パスであるが19世紀後半にはかって荷主などに無料パスを配布するなどの操作があった。</p>
				<p>　鉄道業としての経営のやり方（最近の産業組織論の用語で言えば「市場行動」）は各社別に違っていた。そんなことから利用者である荷主（農民）から不満がコミッショナーのところに届くようになった。州政府から連邦政府に規制政策を移管してもよくなるどころかかえって悪くなるという事態になると州政府と連邦政府の緊張関係が高まり州政府が勢いを強める。コミッショナー制度も批判にさらされる。紛争の裁判（司法的判決）は停滞するようになり、規制政策の機能が低下する。その繰り返しから19世紀末には「鉄道問題」は政治問題になった。グレンジャー・ムーブメント（農民運動）の再来である。多くの農民は鉄道の独占に原因があると考えるようになった。</p>
				<p>　鉄道に対する規制政策は復活するようになった。1つは刷新運動（プログレッシブ・ムーブメント）であり、もう１つは新しい、エネルギッシュな大統領セオドア・ルーズベルトTheodore Roosevelt（１８５８－１９１９） が登場したことである。大統領は、早速改革に乗り出した。</p>
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		<title>第42回　アメリカの鉄道政策史（１６）　波乱の州際通商委員会</title>
		<link>http://www.t-renmei.or.jp/column/?p=224</link>
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		<pubDate>Fri, 23 Mar 2012 00:00:57 +0000</pubDate>
		<dc:creator>t-renmei</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[物流]]></category>

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		<description><![CDATA[				　クリーブランド大統領任命の5人のコミッショナーによってスタートした州際通商委員会は、波乱のスタートを切ることになった。コミッショナー制度は州によっては古いところでは1830年代に遡ると言われ、その後、マサチューセッツ州が先鞭をつけたといわれる。古くからある、いわばアメリカの伝統的な制度であると言える。
				　ハーバード大学の著名な交通経済学者のリプリー（W.Z.Ripley）は、広く読まれたRailroad（659pp.1916年）という著書の中で、最高裁が下したコミッションの定義に言及しているが、とにかくアメリカの最高裁は制度論について厳密である。（後にタフト大統領がアンタイ・トラスト法を避けたことは有名である。）
				　コミッショナーは、「ストロング・コミッショナー」（運賃の決定権など）と「ウイーク・コミッショナー」（安全問題に限定）に分けられるが、コミッショナーが現実の具体的な政策判断を下す場合が予想以上に発生し、制度上の困難に直面した。州際通商法運用上の法律解釈から判決に至る期間は平均4年かかったと言われる。日本でも良くあることだが、法律上は荷主のキャリヤーに対する不満の上訴権が認められていても、その法文は現実には機能しない。（これが最近の「制度派経済学」で言われる、狭義の「制度の不完備」の問題である。）
				　州際通商委員会は、鉄道の現実の政策執行上の判断についても予想以上の多くの問題に直面した。観念的な表現、例えば「公正かつ妥当な」運賃というようなヨーロッパの観念哲学から生まれた運賃論ではどうにもならない。（1938年に、理論経済学者ハロルド・ホテリングの「限界費用価格形成論」が発表されるが、これも経済学の効率的資源配分論から出た理論であり、「ホテリングの夢」と揶揄されるにとどまっている。）リベートの是非、その他の取引慣行の問題についても運賃論では説明できない。ことほど左様に、その点では最近の証券取引法の問題も似たような問題を含んでいる、それに公法的要素が絡むと厄介である。
				　鉄道という社会的・公共的組織体を「自由な経済行為」の管理下に置くことの困難性を経験的に知ること以外には方法がない。民営化の成否に影響するのが制度の「不完備性」である。連邦規制制度としての「州際通商委員会」（独立規制委員会）は制度上の理由から失敗したという意見がある。ストーバーの著書（1961）によれば「1890年代から20世紀初期には州際通商法が有効な規制を確立するのに失敗したのと同様に1890年のシャーマン・アンタイトラスト法も鉄道合併・統合を阻止することができなかった。」と言われている。（1967年に合併したニューヨーク・セントラルとペンシルバニア鉄道の合併（1970年倒産）も阻止することはできなかった。）
				　1892年の激しい経済恐慌（パニック）によって、多くの鉄道会社が破産し、1894年半ばまでに全国の鉄道の4分の1に及ぶ4万マイル・資本金25億ドルが管財人の手に落ちていった。また、1899年から1900年の1年ちょっとの間にもおよそ22万5,000マイルが合併会社の管理下に入った。そして、1906年までに、全国の鉄道総延長マイルのほぼ3分の2が7グループに統合された。
				　(1) ヴァンダービルト鉄道システム（2万2,500マイル以上）、(2) ペンシルベニア・グループ（2万マイル）、(3) モルガン鉄道（1万8,000マイル）、(4) ゴールド鉄道（1万7,000マイル）、(5) ロックアイランド・システム（1万5,000マイル）、(6) ヒル鉄道（2万1,000マイル）、（7）ハリマン・ライン（2万5,000マイル）の7グループである。これらの鉄道会社には1893年以後、モルガン社（J.P.Morgan &#38; Company）とカーン・レーブ社（Kuhn , Loeb ＆ Company）が破産鉄道に投資してできた銀行管理会社との関係が密接である。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[				<p>　クリーブランド大統領任命の5人のコミッショナーによってスタートした州際通商委員会は、波乱のスタートを切ることになった。コミッショナー制度は州によっては古いところでは1830年代に遡ると言われ、その後、マサチューセッツ州が先鞭をつけたといわれる。古くからある、いわばアメリカの伝統的な制度であると言える。</p>
				<p>　ハーバード大学の著名な交通経済学者のリプリー（W.Z.Ripley）は、広く読まれたRailroad（659pp.1916年）という著書の中で、最高裁が下したコミッションの定義に言及しているが、とにかくアメリカの最高裁は制度論について厳密である。（後にタフト大統領がアンタイ・トラスト法を避けたことは有名である。）</p>
				<p>　コミッショナーは、「ストロング・コミッショナー」（運賃の決定権など）と「ウイーク・コミッショナー」（安全問題に限定）に分けられるが、コミッショナーが現実の具体的な政策判断を下す場合が予想以上に発生し、制度上の困難に直面した。州際通商法運用上の法律解釈から判決に至る期間は平均4年かかったと言われる。日本でも良くあることだが、法律上は荷主のキャリヤーに対する不満の上訴権が認められていても、その法文は現実には機能しない。（これが最近の「制度派経済学」で言われる、狭義の「制度の不完備」の問題である。）</p>
				<p>　州際通商委員会は、鉄道の現実の政策執行上の判断についても予想以上の多くの問題に直面した。観念的な表現、例えば「公正かつ妥当な」運賃というようなヨーロッパの観念哲学から生まれた運賃論ではどうにもならない。（1938年に、理論経済学者ハロルド・ホテリングの「限界費用価格形成論」が発表されるが、これも経済学の効率的資源配分論から出た理論であり、「ホテリングの夢」と揶揄されるにとどまっている。）リベートの是非、その他の取引慣行の問題についても運賃論では説明できない。ことほど左様に、その点では最近の証券取引法の問題も似たような問題を含んでいる、それに公法的要素が絡むと厄介である。</p>
				<p>　鉄道という社会的・公共的組織体を「自由な経済行為」の管理下に置くことの困難性を経験的に知ること以外には方法がない。民営化の成否に影響するのが制度の「不完備性」である。連邦規制制度としての「州際通商委員会」（独立規制委員会）は制度上の理由から失敗したという意見がある。ストーバーの著書（1961）によれば「1890年代から20世紀初期には州際通商法が有効な規制を確立するのに失敗したのと同様に1890年のシャーマン・アンタイトラスト法も鉄道合併・統合を阻止することができなかった。」と言われている。（1967年に合併したニューヨーク・セントラルとペンシルバニア鉄道の合併（1970年倒産）も阻止することはできなかった。）</p>
				<p>　1892年の激しい経済恐慌（パニック）によって、多くの鉄道会社が破産し、1894年半ばまでに全国の鉄道の4分の1に及ぶ4万マイル・資本金25億ドルが管財人の手に落ちていった。また、1899年から1900年の1年ちょっとの間にもおよそ22万5,000マイルが合併会社の管理下に入った。そして、1906年までに、全国の鉄道総延長マイルのほぼ3分の2が7グループに統合された。</p>
				<p>　(1) ヴァンダービルト鉄道システム（2万2,500マイル以上）、(2) ペンシルベニア・グループ（2万マイル）、(3) モルガン鉄道（1万8,000マイル）、(4) ゴールド鉄道（1万7,000マイル）、(5) ロックアイランド・システム（1万5,000マイル）、(6) ヒル鉄道（2万1,000マイル）、（7）ハリマン・ライン（2万5,000マイル）の7グループである。これらの鉄道会社には1893年以後、モルガン社（J.P.Morgan &amp; Company）とカーン・レーブ社（Kuhn , Loeb ＆ Company）が破産鉄道に投資してできた銀行管理会社との関係が密接である。</p>
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		<title>第41回　アメリカの鉄道政策史（１５）　州際通商法の意図と内容</title>
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		<pubDate>Fri, 24 Feb 2012 05:04:47 +0000</pubDate>
		<dc:creator>t-renmei</dc:creator>
		
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		<description><![CDATA[				　「州際通商法」（1887年）はクリーブランド大統領の署名によって成立した。その内容は、３年後に成立したアンタイ・トラスト法（反独占法）と共に極めて鉄道に批判的性格の強い法律であった。南北戦争以前の鉄道は広大な大陸の将来を考えると「不可欠な」交通手段であり、誰もがそのように考えていた。つまり、人口と資本が圧倒的に不足する経済情勢であった。連邦政府、州政府、その他の地方政府も豊かな土地を無償提供することによって、国土の開発・発展を企画・推進した。しかし、南北戦争を契機にアグラリアン・エコノミー（農業中心の経済）に固有の問題点が噴出してきた。ヨーロッパ大陸に農産物・畜産物の市場を開拓したのがそれであるが、決して豊かな生産条件・生活条件・交通条件を保証するものではなかった。このことがやがてアメリカの定住農民の不満となり、鉄道・倉庫料金の値下げを要求する農民運動に発展した。
				　州際通商法は、農民運動としての「グレンジャー運動」（1870年代）に端を発し、運賃・穀物保管料の引き下げを求める鉄道規制（州法としての運賃・料金の決定原則をめぐる裁判）を求めた農民運動を経て、大陸横断鉄道が拡張するにつれて州が中心となった「差別運賃」、「複雑な特恵契約」、「リベート」や「運賃戦争」（レート・ウオー）が広い範囲に拡大する一方で、連邦法としての立法の要請によって誕生したものである。60年代、70年代、80年代と続く長年の運賃戦争が起こったため、荷主や商人は公表運賃が高いことに対してだけでなく、運賃変動の激しさに不満を持つようになった。
				　また、1884～85年の不況によって、鉄道の合併が急増した。鉄道独占といっても鉄道の利便性は粗密の差が大きく、鉄道運賃は国の税金だとした諦めの風潮も見られた。それらが州によって違っていたから鉄道運賃は農民の貧富の差を助長するとも考えられた。
				　中でも差別運賃や運賃戦争が不況期には激しさを増し、全鉄道会社の４分の１（425社）がリース、買収、合併など形は違えども他社の傘下に入ったといわれる。そんな背景から鉄道の｢刷新運動｣と｢鉄道に対する規制｣への要求が広がって行った。鉄道の競争は鉄道経営に対する濫用となり、大統領の強い関心を呼ぶようになった。それがさらに政治問題となり、鉄道に対する反対運動の再来―「グレンジャー運動の再来」―へとなって広がった。　　　　　
				　州際通商法（Interstate Commerce Act）の法文の中には、州際運賃は最高運賃に代わって「公正かつ妥当」（reasonable and just）な運賃という表現になっていた。この表現はわざとこの表現にしたのではないかと見られている。連邦政府らしさとでもいえる言い回しである。裏返せば曖昧さを抜け出ていない論争や批判を呼び易い言い回しである。お馴染みの競争慣行、リベート、割戻し、プール制などははっきりと禁止事項になっているが、それ自身が曖昧であることは否定できていない。しかし世評には好意的に受けとめられた。法案に対する批判の多くは、クリーブランド大統領が有能な５人を「コミッショナー」に送り込んだために避けられたと言われる。
				　クリーブランド大統領が選んだ５人とは、トーマス・M・クーリー（1824-98、ミシガン州出身の共和党判事、一時鉄道管財人、委員長）、W・R・モリソン（1825-1909、イリノイ州出身）、オーガスタス・スクーンメーカー（1828-94、ニューヨーク州出身）アルダス・F・ウォーカー（1824-1901、バーモント州出身）、ウォルター・L・ブラッグ（1838-91、アラバマ州出身）という5人である。ある新聞はこの人選を法律の練達の人であり、誠実な人であり、そのうち3人は鉄道問題にも詳しいと評した。しかし、このような有能な人士が続いたのは短く、複雑な鉄道運賃問題に法律を適用する仕事は「ジャングルの中に入って道を拓くようなものだ」と揶揄された。この扱いにはコミッションも苦労し、いつまでも結論を出さない事態となった。「停止・修正令」（cease and desist order）を発動しても遵守されないことも多かった。これをどう裁いたか。ついに大統領の出番が来た。鉄道の規制政策は鼎の軽重を問われる山場を迎えた。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[				<p>　「州際通商法」（1887年）はクリーブランド大統領の署名によって成立した。その内容は、３年後に成立したアンタイ・トラスト法（反独占法）と共に極めて鉄道に批判的性格の強い法律であった。南北戦争以前の鉄道は広大な大陸の将来を考えると「不可欠な」交通手段であり、誰もがそのように考えていた。つまり、人口と資本が圧倒的に不足する経済情勢であった。連邦政府、州政府、その他の地方政府も豊かな土地を無償提供することによって、国土の開発・発展を企画・推進した。しかし、南北戦争を契機にアグラリアン・エコノミー（農業中心の経済）に固有の問題点が噴出してきた。ヨーロッパ大陸に農産物・畜産物の市場を開拓したのがそれであるが、決して豊かな生産条件・生活条件・交通条件を保証するものではなかった。このことがやがてアメリカの定住農民の不満となり、鉄道・倉庫料金の値下げを要求する農民運動に発展した。<br />
				　州際通商法は、農民運動としての「グレンジャー運動」（1870年代）に端を発し、運賃・穀物保管料の引き下げを求める鉄道規制（州法としての運賃・料金の決定原則をめぐる裁判）を求めた農民運動を経て、大陸横断鉄道が拡張するにつれて州が中心となった「差別運賃」、「複雑な特恵契約」、「リベート」や「運賃戦争」（レート・ウオー）が広い範囲に拡大する一方で、連邦法としての立法の要請によって誕生したものである。60年代、70年代、80年代と続く長年の運賃戦争が起こったため、荷主や商人は公表運賃が高いことに対してだけでなく、運賃変動の激しさに不満を持つようになった。<br />
				　また、1884～85年の不況によって、鉄道の合併が急増した。鉄道独占といっても鉄道の利便性は粗密の差が大きく、鉄道運賃は国の税金だとした諦めの風潮も見られた。それらが州によって違っていたから鉄道運賃は農民の貧富の差を助長するとも考えられた。<br />
				　中でも差別運賃や運賃戦争が不況期には激しさを増し、全鉄道会社の４分の１（425社）がリース、買収、合併など形は違えども他社の傘下に入ったといわれる。そんな背景から鉄道の｢刷新運動｣と｢鉄道に対する規制｣への要求が広がって行った。鉄道の競争は鉄道経営に対する濫用となり、大統領の強い関心を呼ぶようになった。それがさらに政治問題となり、鉄道に対する反対運動の再来―「グレンジャー運動の再来」―へとなって広がった。　　　　　<br />
				　州際通商法（Interstate Commerce Act）の法文の中には、州際運賃は最高運賃に代わって「公正かつ妥当」（reasonable and just）な運賃という表現になっていた。この表現はわざとこの表現にしたのではないかと見られている。連邦政府らしさとでもいえる言い回しである。裏返せば曖昧さを抜け出ていない論争や批判を呼び易い言い回しである。お馴染みの競争慣行、リベート、割戻し、プール制などははっきりと禁止事項になっているが、それ自身が曖昧であることは否定できていない。しかし世評には好意的に受けとめられた。法案に対する批判の多くは、クリーブランド大統領が有能な５人を「コミッショナー」に送り込んだために避けられたと言われる。<br />
				　クリーブランド大統領が選んだ５人とは、トーマス・M・クーリー（1824-98、ミシガン州出身の共和党判事、一時鉄道管財人、委員長）、W・R・モリソン（1825-1909、イリノイ州出身）、オーガスタス・スクーンメーカー（1828-94、ニューヨーク州出身）アルダス・F・ウォーカー（1824-1901、バーモント州出身）、ウォルター・L・ブラッグ（1838-91、アラバマ州出身）という5人である。ある新聞はこの人選を法律の練達の人であり、誠実な人であり、そのうち3人は鉄道問題にも詳しいと評した。しかし、このような有能な人士が続いたのは短く、複雑な鉄道運賃問題に法律を適用する仕事は「ジャングルの中に入って道を拓くようなものだ」と揶揄された。この扱いにはコミッションも苦労し、いつまでも結論を出さない事態となった。「停止・修正令」（cease and desist order）を発動しても遵守されないことも多かった。これをどう裁いたか。ついに大統領の出番が来た。鉄道の規制政策は鼎の軽重を問われる山場を迎えた。</p>
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		<title>第40回　アメリカの鉄道政策史（１４）　州際通商法の成立とその後</title>
		<link>http://www.t-renmei.or.jp/column/?p=204</link>
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		<pubDate>Wed, 25 Jan 2012 00:00:15 +0000</pubDate>
		<dc:creator>t-renmei</dc:creator>
		
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		<description><![CDATA[				　「州際通商法」（Interstate Commerce Act）は1887年2月4日、時の大統領クリーブランドのサインによって成立した。一部の州が独自に鉄道業を規制していたものが、ようやく連邦法として成立したのである。今では連邦と名が付く法律や組織は多いが、立法・司法組織を除けば全国的連邦法となったのはこれが最初である。立法府でもなければ行政府でもない独立規制委員会「州際通商委員会」という位置付けである。立法府直属の第３者的機関である。
				　内容的には、ずばり鉄道産業規制法であり、鉄道営業規制という性格が強いから、トラスト・バースティング（トラスト・ブーム）の一環として登場した他の石油精製・販売、あるいは銀行業などと同様に、トラストではあったが州際事業という括りとしては鉄道が最初である。後に中央銀行である「連邦準備制度理事会」（中央銀行）が連邦機関として成立するが、20世紀に入ってから全て州際通商委員会を雛形として制定されたものである（銀行のフェデラリズムについては大論争があった）。電話網は鉄道網より早く1865年に太平洋岸に到達するが、やがて連邦通信委員会の傘下に入った。なお、ヨーロッパでは鉄道は国営主義を採用して国営企業とした国が多かった。イギリスでは1948年に国営のブリティッシュ・レイルウェー（BR）とした。一言で言えば国体の差によって国営主義と民営主義に分かれていた。
				　アメリカの鉄道ははじめは同一州内にとどまるものが多かったが、南北戦争前後から西漸運動（westward movement）と共に都市間鉄道網が拡大した。1873年の大不況によって倒産する企業が増え、それがコンソリデーション（合併）の起爆剤になった。それを支えたのは、アメリカ経済が徐々に商業資本主義から工業・金融資本主義へ転換し、ビジネスマンの鉄道に対する見方が変わり、地方や特定都市・小都市の交通需要に役立つ交通機関という見方から都市間・広域交通需要に役立つ交通機関へと変わったことである。アメリカは南北戦争時には石炭・銑鉄生産ではイギリス、ドイツ、フランスらに後れを取っていたが、1890年代に急速に成長し、1900年前には一番手に躍り出た。日本でいえば日露戦争前後の話である。この時期に活躍した人物は、アンドリュー・カーネギー（1837-1919）、ジョン・ピアポント・モルガン（1837-1913）などである。今でもその名は有名である。
				　アメリカ経済の拡大と共に、鉄道に対する州政府の規制ではなく、連邦規制を求める声が高まった。鉄道の企業規模が拡大したため、地理的に広がると同時に経営の集中化（集権管理）が進んだためである。1884～85年の不況によって、1880年から1888年の間に425社が他社の傘下に入った。リース、買収もあれば合併もあるという具合である。これに注目したアーサー大統領は1883年の年次教書の中で、鉄道の乱脈経営から民衆を保護するように急かせた。
				　クリーブランド大統領が州際通商法にサインする前に鉄道業の経営を警戒するような２つの動きがあった。その１つはシェルビー・Ｍ・カロム（1829-1914、前イリノイ州知事）の上院特別委員会における調査である。この委員会の最終報告（1886年1月）は不当に高い運賃、個人別・場所別・貨物品目別運賃、秘密リベート、払い戻し、無料パス、株式水増し、過大資本金組み入れ、放漫経営を指摘し、独立規制委員会の創設を勧告した。これはICCの設立を予告するような内容であった。また、その調査報告の翌年の1886年、つまりICC設立の前年の1886年10月に、いわゆるウォーバッシ事件（Wabash, Saint Louis and Pacific Railroad. Company vs. Illinois）の最高裁判決が下った。その内容は州際通商を規制する権限を州に対し否認したものであり、州の境界を越える輸送の運賃を決定してはいけないという判決である。州の決定権をふさいだ形である。従って州際運賃をICCで別途決定しなければならない・これは州の容喙の余地が無いことを意味する。つまり上院の「カロム法案」（Cullom bill）と下院の「リーガン法案」（Reagan bill）と言われるものである。この２つが州際通商法（Interstate Commerce Act）の骨子であるが、厳格さを欠くため骨抜きやら論争・批判の種を撒くことになる。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[				<p>　「州際通商法」（Interstate Commerce Act）は1887年2月4日、時の大統領クリーブランドのサインによって成立した。一部の州が独自に鉄道業を規制していたものが、ようやく連邦法として成立したのである。今では連邦と名が付く法律や組織は多いが、立法・司法組織を除けば全国的連邦法となったのはこれが最初である。立法府でもなければ行政府でもない独立規制委員会「州際通商委員会」という位置付けである。立法府直属の第３者的機関である。<br />
				　内容的には、ずばり鉄道産業規制法であり、鉄道営業規制という性格が強いから、トラスト・バースティング（トラスト・ブーム）の一環として登場した他の石油精製・販売、あるいは銀行業などと同様に、トラストではあったが州際事業という括りとしては鉄道が最初である。後に中央銀行である「連邦準備制度理事会」（中央銀行）が連邦機関として成立するが、20世紀に入ってから全て州際通商委員会を雛形として制定されたものである（銀行のフェデラリズムについては大論争があった）。電話網は鉄道網より早く1865年に太平洋岸に到達するが、やがて連邦通信委員会の傘下に入った。なお、ヨーロッパでは鉄道は国営主義を採用して国営企業とした国が多かった。イギリスでは1948年に国営のブリティッシュ・レイルウェー（BR）とした。一言で言えば国体の差によって国営主義と民営主義に分かれていた。<br />
				　アメリカの鉄道ははじめは同一州内にとどまるものが多かったが、南北戦争前後から西漸運動（westward movement）と共に都市間鉄道網が拡大した。1873年の大不況によって倒産する企業が増え、それがコンソリデーション（合併）の起爆剤になった。それを支えたのは、アメリカ経済が徐々に商業資本主義から工業・金融資本主義へ転換し、ビジネスマンの鉄道に対する見方が変わり、地方や特定都市・小都市の交通需要に役立つ交通機関という見方から都市間・広域交通需要に役立つ交通機関へと変わったことである。アメリカは南北戦争時には石炭・銑鉄生産ではイギリス、ドイツ、フランスらに後れを取っていたが、1890年代に急速に成長し、1900年前には一番手に躍り出た。日本でいえば日露戦争前後の話である。この時期に活躍した人物は、アンドリュー・カーネギー（1837-1919）、ジョン・ピアポント・モルガン（1837-1913）などである。今でもその名は有名である。<br />
				　アメリカ経済の拡大と共に、鉄道に対する州政府の規制ではなく、連邦規制を求める声が高まった。鉄道の企業規模が拡大したため、地理的に広がると同時に経営の集中化（集権管理）が進んだためである。1884～85年の不況によって、1880年から1888年の間に425社が他社の傘下に入った。リース、買収もあれば合併もあるという具合である。これに注目したアーサー大統領は1883年の年次教書の中で、鉄道の乱脈経営から民衆を保護するように急かせた。<br />
				　クリーブランド大統領が州際通商法にサインする前に鉄道業の経営を警戒するような２つの動きがあった。その１つはシェルビー・Ｍ・カロム（1829-1914、前イリノイ州知事）の上院特別委員会における調査である。この委員会の最終報告（1886年1月）は不当に高い運賃、個人別・場所別・貨物品目別運賃、秘密リベート、払い戻し、無料パス、株式水増し、過大資本金組み入れ、放漫経営を指摘し、独立規制委員会の創設を勧告した。これはICCの設立を予告するような内容であった。また、その調査報告の翌年の1886年、つまりICC設立の前年の1886年10月に、いわゆるウォーバッシ事件（Wabash, Saint Louis and Pacific Railroad. Company vs. Illinois）の最高裁判決が下った。その内容は州際通商を規制する権限を州に対し否認したものであり、州の境界を越える輸送の運賃を決定してはいけないという判決である。州の決定権をふさいだ形である。従って州際運賃をICCで別途決定しなければならない・これは州の容喙の余地が無いことを意味する。つまり上院の「カロム法案」（Cullom bill）と下院の「リーガン法案」（Reagan bill）と言われるものである。この２つが州際通商法（Interstate Commerce Act）の骨子であるが、厳格さを欠くため骨抜きやら論争・批判の種を撒くことになる。</p>
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		<item>
		<title>第39回　アメリカの鉄道政策史（１３）　連邦法としての州際通商法成立の経緯</title>
		<link>http://www.t-renmei.or.jp/column/?p=197</link>
		<comments>http://www.t-renmei.or.jp/column/?p=197#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 22 Dec 2011 00:00:55 +0000</pubDate>
		<dc:creator>t-renmei</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[物流]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.t-renmei.or.jp/column/?p=197</guid>
		<description><![CDATA[				　先に述べたように「州際通商法」（1887年）が制定されてから、わずか３年で「アンタイ・トラスト法」（1890年）が制定された。いずれも鉄道に対する規制法である。州際通商法は準司法的法であり、アンタイ・トラスト法も司法的性格の強い法律である。性格の似た法律が続けざまに立法したのは何故か。
				　州際通商法は、グレンジャー運動（1870年代）に端を発し、運賃・穀物保管料の引き下げを求める規制（州法としての運賃・料金の決定原則をめぐる裁判）を求めた農民運動を端緒としたものであるが、大陸横断鉄道が拡大するにつれて、「運賃戦争」（レート・ウォー）が広い範囲に拡大し、連邦法としての立法への要請が強まって誕生したものである。更に、６０年代、７０年代、８０年代と断続的に長期の運賃戦争が起こったため、荷主や商人は公表運賃に対してだけでなく、運賃変動の激しさに不満を持つようになった。更にはその状況が州によって違っていたから各地で不満が更に広がっていたことは容易に推測される。
				　イリノイ州から始まった「グレンジャー法」をめぐる裁判において、運賃・料金の州規制を求める農民と、それに反対する鉄道サイドが真っ向から衝突した。裁判において、鉄道サイドの弁護士は、「許可権者である州は当初の契約に反していたとしても処罰をしていないのに運賃を決定する権限はない」と主張した。それに対して州サイドの主張は、1819年のダートマス・カレッジの判例を引き合いに出して自らの正当性を主張した。このような争いのことを「コンテスト」というが、農民（グレンジャー）は票を持ち、鉄道はマネーをつぎ込んだのである。そこで贈賄という餌を撒いた鉄道が多くの賛成を勝ち取った。アイオワ州では政治家のパスを廃止した。ミネソタ州とウイスコンシン州では新法の遵守に走った。旅客運賃の均一化を求める運動が起こったときには、それに対抗してセントポール鉄道とパシフィック鉄道はミネアポリスとセントポール間の運賃を３セントから５セントへ引き上げた。ウイスコンシン州では鉄道サイドは、かの有名な「ポター法」（既述）を遵守して、「ポター車、ポター・レール、ポター時間」という最悪のサービス（規制価格に合ったレベルへのサービスの引き下げ）で対抗した。結局ポター法は撤回され、他の州でも規制は緩和された。鉄道サイドは穏やかな立法措置を勝ち取ったが、1876年の一連の決定の中でアメリカ・最高裁は『自由主義』対『公共規制』という基本的なところでグレンジャー・サイドの立場に立った判決を下した。
				　最初のグレンジャー事件と呼ばれる「マン対イリノイ事件」（Munn vs. Illinois Case）に対する最高裁判決は、1871年のイリノイ法で決められた穀物（小麦）の倉敷料を最高料金制にすることも容認した。それと同時に、最高裁は２つの事件（ペイク対シカゴ・ノース・ウエスタン鉄道、シカゴ・バーリントン・クインシー鉄道対アイオア州）の判決では、州は鉄道の貨物旅客運賃を最高運賃として決定することができるとされた。それだけでなく、この規制は全国的立法措置が完成していなくても州際通商に応用してもかまわないとした。最高裁判決がここまで来ると全国各州の票決を待つまでもなく「連邦法」として一本化する方が合理的である。ところがマン対イリノイ法の場合には唯一反対意見が出た（一部前述）。マン対イリノイ事件の判決に対する唯一の反対意見はフィールド判事（Stephen J. Field(1816-1905)）の意見であった。それは「『法の正当な手続きなしに』（due process of law）財産を奪うことになるから法的に無効である」というものであった。これは原則的にグレンジャー・サイドが州規制の勝利を勝ち取ったかに見えた。1870年代になって、鉄道への規制政策は州から全国規模に広がるようになった。連邦鉄道委員会の創設を求める法案は1871年に議会に提出されていた。前南部連邦郵政総監のリーガン（J. H. Reagan(1818-1905)）は、彼の規制策を通すように下院に働きかけていた。1880年にはウイーバー（J. B. Weaver(1833- 1912)）はアイオア州の鉄道は州裁判所から連邦裁判所に法的手続きを移行することに成功していた。鉄道規制は州規制には重荷だという声が上がっていたことが背景にあろう。かくして鉄道に対する規制政策は州から連邦へ移管する条件が整った。
				（この辺の政治情勢（農民の投票行動）をめぐる研究（計量政治学あるいは計量経済史学）は後世の研究課題となった。）
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[				<p>　先に述べたように「州際通商法」（1887年）が制定されてから、わずか３年で「アンタイ・トラスト法」（1890年）が制定された。いずれも鉄道に対する規制法である。州際通商法は準司法的法であり、アンタイ・トラスト法も司法的性格の強い法律である。性格の似た法律が続けざまに立法したのは何故か。<br />
				　州際通商法は、グレンジャー運動（1870年代）に端を発し、運賃・穀物保管料の引き下げを求める規制（州法としての運賃・料金の決定原則をめぐる裁判）を求めた農民運動を端緒としたものであるが、大陸横断鉄道が拡大するにつれて、「運賃戦争」（レート・ウォー）が広い範囲に拡大し、連邦法としての立法への要請が強まって誕生したものである。更に、６０年代、７０年代、８０年代と断続的に長期の運賃戦争が起こったため、荷主や商人は公表運賃に対してだけでなく、運賃変動の激しさに不満を持つようになった。更にはその状況が州によって違っていたから各地で不満が更に広がっていたことは容易に推測される。</p>
				<p>　イリノイ州から始まった「グレンジャー法」をめぐる裁判において、運賃・料金の州規制を求める農民と、それに反対する鉄道サイドが真っ向から衝突した。裁判において、鉄道サイドの弁護士は、「許可権者である州は当初の契約に反していたとしても処罰をしていないのに運賃を決定する権限はない」と主張した。それに対して州サイドの主張は、1819年のダートマス・カレッジの判例を引き合いに出して自らの正当性を主張した。このような争いのことを「コンテスト」というが、農民（グレンジャー）は票を持ち、鉄道はマネーをつぎ込んだのである。そこで贈賄という餌を撒いた鉄道が多くの賛成を勝ち取った。アイオワ州では政治家のパスを廃止した。ミネソタ州とウイスコンシン州では新法の遵守に走った。旅客運賃の均一化を求める運動が起こったときには、それに対抗してセントポール鉄道とパシフィック鉄道はミネアポリスとセントポール間の運賃を３セントから５セントへ引き上げた。ウイスコンシン州では鉄道サイドは、かの有名な「ポター法」（既述）を遵守して、「ポター車、ポター・レール、ポター時間」という最悪のサービス（規制価格に合ったレベルへのサービスの引き下げ）で対抗した。結局ポター法は撤回され、他の州でも規制は緩和された。鉄道サイドは穏やかな立法措置を勝ち取ったが、1876年の一連の決定の中でアメリカ・最高裁は『自由主義』対『公共規制』という基本的なところでグレンジャー・サイドの立場に立った判決を下した。<br />
				　最初のグレンジャー事件と呼ばれる「マン対イリノイ事件」（Munn vs. Illinois Case）に対する最高裁判決は、1871年のイリノイ法で決められた穀物（小麦）の倉敷料を最高料金制にすることも容認した。それと同時に、最高裁は２つの事件（ペイク対シカゴ・ノース・ウエスタン鉄道、シカゴ・バーリントン・クインシー鉄道対アイオア州）の判決では、州は鉄道の貨物旅客運賃を最高運賃として決定することができるとされた。それだけでなく、この規制は全国的立法措置が完成していなくても州際通商に応用してもかまわないとした。最高裁判決がここまで来ると全国各州の票決を待つまでもなく「連邦法」として一本化する方が合理的である。ところがマン対イリノイ法の場合には唯一反対意見が出た（一部前述）。マン対イリノイ事件の判決に対する唯一の反対意見はフィールド判事（Stephen J. Field(1816-1905)）の意見であった。それは「『法の正当な手続きなしに』（due process of law）財産を奪うことになるから法的に無効である」というものであった。これは原則的にグレンジャー・サイドが州規制の勝利を勝ち取ったかに見えた。1870年代になって、鉄道への規制政策は州から全国規模に広がるようになった。連邦鉄道委員会の創設を求める法案は1871年に議会に提出されていた。前南部連邦郵政総監のリーガン（J. H. Reagan(1818-1905)）は、彼の規制策を通すように下院に働きかけていた。1880年にはウイーバー（J. B. Weaver(1833- 1912)）はアイオア州の鉄道は州裁判所から連邦裁判所に法的手続きを移行することに成功していた。鉄道規制は州規制には重荷だという声が上がっていたことが背景にあろう。かくして鉄道に対する規制政策は州から連邦へ移管する条件が整った。<br />
				（この辺の政治情勢（農民の投票行動）をめぐる研究（計量政治学あるいは計量経済史学）は後世の研究課題となった。）</p>
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		<title>第38回　アメリカの鉄道政策史（１２）　米国独占禁止法</title>
		<link>http://www.t-renmei.or.jp/column/?p=190</link>
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		<pubDate>Fri, 25 Nov 2011 08:51:22 +0000</pubDate>
		<dc:creator>t-renmei</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[物流]]></category>

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		<description><![CDATA[				　アメリカの「アンタイ・トラスト法」は1890年に成立した独占的行動を規制する法律であり、農民に対する選挙公約として生まれた法律であった。他に多くの案があったが、オハイオ州選出の上院議員ジョン・シャーマンが上程した案が成立し「シャーマン・アンタイ・トラスト法」と呼ばれている。その後何十年にも亘って批判され続けてきた法律でもある。というのは平気な顔をして経済界から多額の課徴金を巻き上げたり、時には重役を監獄へ放り込むこともする。怖い法律である。前回述べたように「理由の如何を問わず」（par se）重罰にかけるから「ベネボレントな人」（慈悲深い善人）には向かない。レーガン大統領（1980年代）はなんとアンタイ・トラスト関係職員の８０％の首を切ってしまったという記録がある。シャーマンは時代が違うとはいえ、レーガンとは全く逆に殆どの大企業や多くの中小企業の幽霊重役になったという記録もある。
				　話が脱線したので元に戻すと、その当時のアメリカはロックフェラーの石油資本をはじめ、産業の工業化が急速に進んだ時期であり、企業が持ち株会社（トラスト）によって独占化を進めていたのである。この現象を「トラスト・バステイング」（Trust Busting）という。だからトラストはきわめてアメリカ的な企業合同の形態である。地理的にも、かなり広い範囲にわたる社会経済運動であり、鉄道について言えばアメリカ東部から西部に至る鉄道の合併運動(Merger  Movement)によって急速に大規模化が進んだ（既述）。この運動は南北戦争以後から始まったものであり、アメリカ経済において工業化が進んだ時期と重なる。
				　鉄道の普及と共に、企業規模の拡大、生産の機械化、中小都市の大規模化などが進み、交通問題では都市間交通と都市交通の分化（ロングホール・ショートホール問題の発生〔近距離運賃の割高問題〕）、鉱山鉄道の普及、貨物輸送品目・運賃制度の多様化、運賃競争の激化など、その後の差別運賃・リベートの一般化（ロックフェラー・トラストの運賃が８割引であるとか、大企業社員への無料パスの提供）などの自由競争の弊害が顕在化し、自由主義に反対する社会運動や労働運動の頻発や農産物価格の低下を招き、グレンジャー運動の再発などの政治運動化が起こった。鉄道経営者は株式の過剰発行（株式の水浸し：stock watering）をしたため農民に対する配当金の低下による被害が広がった。そのような背景から、｢刷新運動｣と｢鉄道規制｣を求める市民感情が広がり、それが政治運動へと広がっていった。　　　　　
				　このような背景から、激しい鉄道運賃引き下げ競争から生まれたと言われる｢カットスロート・コンペティション｣（喉元を切り裂くような競争－この言葉は今では競争を嫌う極めて感情的な言葉と思われているようである－）を封じ込め、合併や協定が広がりを見せるようになった。こうして生まれた新しい独占が『トラスト』であり、具体的には『持ち株会社』（Holding Company)の別の表現であると見るのが正しいようである。シュンペターという著名な経済学者は独占を容認しているが、それは独占者であるが技術革新の推進者でもあったからである。
				　「アンタイ・トラスト法」は1889年にまずカンザス州で成立し、1891年には18州にまで広がった。19世紀とは違った懲罰主義的・司法取引的とは違ったところに視野を広げる必要があろう。政治・経済・文化に視角を広げながら時代に応じた選択が可能な「制度」に焦点を当てる必要があるのではなかろうか。最近注目を集めている一冊の著書、「産業政策を鍛える」という表題のF. Dobbinの著書が優れている。独占禁止だけに走り、制度論を無視した政策論として競争政策は殆ど意味がない。それには社会的良識派の人格的陶冶に期待する以外には道はない。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[				<p>　アメリカの「アンタイ・トラスト法」は1890年に成立した独占的行動を規制する法律であり、農民に対する選挙公約として生まれた法律であった。他に多くの案があったが、オハイオ州選出の上院議員ジョン・シャーマンが上程した案が成立し「シャーマン・アンタイ・トラスト法」と呼ばれている。その後何十年にも亘って批判され続けてきた法律でもある。というのは平気な顔をして経済界から多額の課徴金を巻き上げたり、時には重役を監獄へ放り込むこともする。怖い法律である。前回述べたように「理由の如何を問わず」（par se）重罰にかけるから「ベネボレントな人」（慈悲深い善人）には向かない。レーガン大統領（1980年代）はなんとアンタイ・トラスト関係職員の８０％の首を切ってしまったという記録がある。シャーマンは時代が違うとはいえ、レーガンとは全く逆に殆どの大企業や多くの中小企業の幽霊重役になったという記録もある。<br />
				　話が脱線したので元に戻すと、その当時のアメリカはロックフェラーの石油資本をはじめ、産業の工業化が急速に進んだ時期であり、企業が持ち株会社（トラスト）によって独占化を進めていたのである。この現象を「トラスト・バステイング」（Trust Busting）という。だからトラストはきわめてアメリカ的な企業合同の形態である。地理的にも、かなり広い範囲にわたる社会経済運動であり、鉄道について言えばアメリカ東部から西部に至る鉄道の合併運動(Merger  Movement)によって急速に大規模化が進んだ（既述）。この運動は南北戦争以後から始まったものであり、アメリカ経済において工業化が進んだ時期と重なる。<br />
				　鉄道の普及と共に、企業規模の拡大、生産の機械化、中小都市の大規模化などが進み、交通問題では都市間交通と都市交通の分化（ロングホール・ショートホール問題の発生〔近距離運賃の割高問題〕）、鉱山鉄道の普及、貨物輸送品目・運賃制度の多様化、運賃競争の激化など、その後の差別運賃・リベートの一般化（ロックフェラー・トラストの運賃が８割引であるとか、大企業社員への無料パスの提供）などの自由競争の弊害が顕在化し、自由主義に反対する社会運動や労働運動の頻発や農産物価格の低下を招き、グレンジャー運動の再発などの政治運動化が起こった。鉄道経営者は株式の過剰発行（株式の水浸し：stock watering）をしたため農民に対する配当金の低下による被害が広がった。そのような背景から、｢刷新運動｣と｢鉄道規制｣を求める市民感情が広がり、それが政治運動へと広がっていった。　　　　　<br />
				　このような背景から、激しい鉄道運賃引き下げ競争から生まれたと言われる｢カットスロート・コンペティション｣（喉元を切り裂くような競争－この言葉は今では競争を嫌う極めて感情的な言葉と思われているようである－）を封じ込め、合併や協定が広がりを見せるようになった。こうして生まれた新しい独占が『トラスト』であり、具体的には『持ち株会社』（Holding Company)の別の表現であると見るのが正しいようである。シュンペターという著名な経済学者は独占を容認しているが、それは独占者であるが技術革新の推進者でもあったからである。<br />
				　「アンタイ・トラスト法」は1889年にまずカンザス州で成立し、1891年には18州にまで広がった。19世紀とは違った懲罰主義的・司法取引的とは違ったところに視野を広げる必要があろう。政治・経済・文化に視角を広げながら時代に応じた選択が可能な「制度」に焦点を当てる必要があるのではなかろうか。最近注目を集めている一冊の著書、「産業政策を鍛える」という表題のF. Dobbinの著書が優れている。独占禁止だけに走り、制度論を無視した政策論として競争政策は殆ど意味がない。それには社会的良識派の人格的陶冶に期待する以外には道はない。</p>
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		<item>
		<title>第37回　アメリカの鉄道政策史（１１）　独占禁止法違反事件</title>
		<link>http://www.t-renmei.or.jp/column/?p=166</link>
		<comments>http://www.t-renmei.or.jp/column/?p=166#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 25 Oct 2011 00:00:45 +0000</pubDate>
		<dc:creator>t-renmei</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[物流]]></category>

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		<description><![CDATA[				　アメリカの「アンタイ・トラスト法」（Anti-trust Act,1890,独占禁止法（独禁法））の影響がわが国の産業政策にあたえる影響は決して小さくないと思われる。いろいろな事案が新聞で報道され大きな関心を呼んでいるようであるが、今回は、先ず新潟交通圏のタクシー運賃の「値上げ問題」を取り上げることとする（新聞報道だけであるから、誤解しているかもしれないことをお断りしておきたい）。
				　１． 事実関係
				　　　　新潟交通圏のタクシー事業者２５社が下限運賃に統一するカルテル（価
				　　　格・生産調整）を結んだため、その行為は独占禁止法違反（不当な取引制限）
				　　　になるので、１０月１３日付けで「排除措置命令」と「課徴金納付命令」を
				　　　予告する「事前通知」を発出した。課徴金は４０台規模事業者で１０００万
				　　　円超の額が示された。１１月２日までに意見書の提出などの弁明の機会を与
				　　　える。
				　２． 理由
				　　　一定区分の運賃にし、初乗り短縮距離を設定しない旨の合意は公共の利益
				　　に反しタクシー事業の取引分野の競争を実質的に制限していた。故に、運賃
				　　を自主的に決めることや合意の消滅の確認などを取締役会で決議し公取委へ
				　　報告を求める。
				　３． 課徴金算定期間
				　　　新運賃適用日から公取委立ち入り検査の前日までの間（違反行為実行期間）
				　　の売上額に｢法廷算定率｣（４％）を乗じて算定。
				以上が新潟交通圏の独禁法違反事件である。
				　　これに対して、タクシー業界はもちろん労働組合、他の関連団体あるいは有識者に至るまで関心は高いようである。加えて、これが発表される前に、日本の物流６社がアメリカ司法省から米国向け航空貨物の運賃について不正な価格協定があるとして米政府に４６８万ドル（３５億８０００万円）の罰金が課されるという新聞報道があり、重ねて古河電工に対する罰金１５０億円の罰金が課されるという報道があったばかりであるから、（私の推測であるが）企業はもちろん業界ぐるみで震え上がったのではないか。
				　以下、なぜこんなことになったのかアメリカの事情を紹介しておきたい。
				　１． 独占禁止法とパー・セー（per se）の法理
				　　　タクシー運賃を下げすぎた（オーバー・キル）から、最低運賃まで戻すの
				　　が、国土交通省の運賃政策の思惑である。公取はそれについては違法だとは
				　　いわない。問題にするのは、その際に「協定行為」（談合）があったのではな
				　　いかという一点である。他のことは一切考慮しない、最低運賃制度はもちろ
				　　ん考慮の外である。独禁法上の違法行為である談合の立証ができれば公取は
				　　裁判になっても公判を維持できる。「独禁法違反」かどうかの証明が公取の唯
				　　一の目的である。
				　２． 独禁法の存在意義
				　　　産業政策と独禁法の関係については古くから多くの学者の批判的意見があ
				　　る。
				　昨年ノーベル経済学賞の栄誉に輝いたＯ．Ｅ．ウイリアムソンは、「際限のない独禁」という論文を発表しており、やたらに細かい問題を取り上げると揶揄しており、その中で日本の松下のアメリカにおける違反事件を紹介している。アメリカの企業では全国で１万人の専門家が企業に雇用されているという。この異様さを批判する論文もある。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[				<p>　アメリカの「アンタイ・トラスト法」（Anti-trust Act,1890,独占禁止法（独禁法））の影響がわが国の産業政策にあたえる影響は決して小さくないと思われる。いろいろな事案が新聞で報道され大きな関心を呼んでいるようであるが、今回は、先ず新潟交通圏のタクシー運賃の「値上げ問題」を取り上げることとする（新聞報道だけであるから、誤解しているかもしれないことをお断りしておきたい）。<br />
				　１． 事実関係<br />
				　　　　新潟交通圏のタクシー事業者２５社が下限運賃に統一するカルテル（価<br />
				　　　格・生産調整）を結んだため、その行為は独占禁止法違反（不当な取引制限）<br />
				　　　になるので、１０月１３日付けで「排除措置命令」と「課徴金納付命令」を<br />
				　　　予告する「事前通知」を発出した。課徴金は４０台規模事業者で１０００万<br />
				　　　円超の額が示された。１１月２日までに意見書の提出などの弁明の機会を与<br />
				　　　える。<br />
				　２． 理由<br />
				　　　一定区分の運賃にし、初乗り短縮距離を設定しない旨の合意は公共の利益<br />
				　　に反しタクシー事業の取引分野の競争を実質的に制限していた。故に、運賃<br />
				　　を自主的に決めることや合意の消滅の確認などを取締役会で決議し公取委へ<br />
				　　報告を求める。<br />
				　３． 課徴金算定期間<br />
				　　　新運賃適用日から公取委立ち入り検査の前日までの間（違反行為実行期間）<br />
				　　の売上額に｢法廷算定率｣（４％）を乗じて算定。<br />
				以上が新潟交通圏の独禁法違反事件である。<br />
				　　これに対して、タクシー業界はもちろん労働組合、他の関連団体あるいは有識者に至るまで関心は高いようである。加えて、これが発表される前に、日本の物流６社がアメリカ司法省から米国向け航空貨物の運賃について不正な価格協定があるとして米政府に４６８万ドル（３５億８０００万円）の罰金が課されるという新聞報道があり、重ねて古河電工に対する罰金１５０億円の罰金が課されるという報道があったばかりであるから、（私の推測であるが）企業はもちろん業界ぐるみで震え上がったのではないか。<br />
				　以下、なぜこんなことになったのかアメリカの事情を紹介しておきたい。<br />
				　１． 独占禁止法とパー・セー（per se）の法理<br />
				　　　タクシー運賃を下げすぎた（オーバー・キル）から、最低運賃まで戻すの<br />
				　　が、国土交通省の運賃政策の思惑である。公取はそれについては違法だとは<br />
				　　いわない。問題にするのは、その際に「協定行為」（談合）があったのではな<br />
				　　いかという一点である。他のことは一切考慮しない、最低運賃制度はもちろ<br />
				　　ん考慮の外である。独禁法上の違法行為である談合の立証ができれば公取は<br />
				　　裁判になっても公判を維持できる。「独禁法違反」かどうかの証明が公取の唯<br />
				　　一の目的である。<br />
				　２． 独禁法の存在意義<br />
				　　　産業政策と独禁法の関係については古くから多くの学者の批判的意見があ<br />
				　　る。<br />
				　昨年ノーベル経済学賞の栄誉に輝いたＯ．Ｅ．ウイリアムソンは、「際限のない独禁」という論文を発表しており、やたらに細かい問題を取り上げると揶揄しており、その中で日本の松下のアメリカにおける違反事件を紹介している。アメリカの企業では全国で１万人の専門家が企業に雇用されているという。この異様さを批判する論文もある。</p>
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		<item>
		<title>第36回　アメリカの鉄道政策史（１０）　グレンジャー運動以後の展開</title>
		<link>http://www.t-renmei.or.jp/column/?p=161</link>
		<comments>http://www.t-renmei.or.jp/column/?p=161#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 22 Sep 2011 01:14:12 +0000</pubDate>
		<dc:creator>t-renmei</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[物流]]></category>

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		<description><![CDATA[				　アメリカのイリノイ州で、鉄道運賃と倉庫料金の規制を求めて起された集団的運動、「グレンジャー・ムーブメント」（1870-77）が鉄道の社会的責任を世の中に知らしめた最初の事件であった。その後は、各州が独立に州法を制定して運賃規制に乗り出した。規制政策を先行させたイリノイ州のような州では最高運賃制を制定する例が多かった（同州は後に撤回して「リーズナブル運賃」に変更したが、１９世紀末に再度最高運賃制を導入した。）。イリノイ州に同調するどうかであるが、統制は取れていたとはいえない。
				　南北戦争以後の１０年間は西部の農民にとっては鉄道貨物運賃は高いように見えた（トンマイル当たり1.26セント）が、シカゴを中心に東の鉄道３社の運賃は1880年には0.81セント、90年には0.66セントにまで低下した。各州の鉄道の経営状態が違うだけでなく、鉄道の投機的行動から格差が広がり、激しい運賃引き下げ競争（運賃戦争）が常態化するようになった。州政府も為す術が無くなり、統制が取れないと見た連邦政府は鉄道に対する（運賃政策のような）社会的責任は連邦裁判所のものであるとしたが、州政府はグレンジャー事件に対する警察権は州政府のものであると強く主張した。運賃政策をめぐって州政府主義（ステイテイズム）と連邦主義（フェデラリズム）の意見が分かれた。そのあおりは鉄道も農民もともにうける結果となった。
				　この点はフランスの政治思想家トクビルが１９世紀に指摘したところである。アメリカ政府は司法中心国家であり、統治とか支配という思想はなく州政府の立法を上院で調整するというシステムである（cf.アレクシス・トクビル「アメリカのデモクラシー」（1835年刊）、日本語訳・岩波文庫（2005.11刊））
				　州議会でも投票で決するのであるから、ロビイスト政治となるだけでなく、審議がますます遅れるから、「審議促進法」（１９世紀末）という法律が成立したが、経済問題がいつも政治問題化することになる。その結果として生まれたのが州際通商委員会（ICC、1887年設立）である。交通規制政策を専門とする独立規制委員会であり、学者によっては第３の政府であるという。
				　ところが、規制政策の執行委員会として反独占委員会ができ、時としてICCとバッテイングすることがある。アメリカでは反独占委員会が設立されたのは1890年であるが、ICCに遅れることわずか３年である。もちろん中身は違うけれども、産業規制法という意味では共通している。つまり、両者はケンカ法なのである。共存できなかったときはどう裁くのかいささか気なるところである。
				　たとえばタフト大統領のようにICCを重視して、反独占法は無視したという例がある。ところがこれでは統制が取れない。しかし、州際通商法とアンタイ・トラスト法がバッテイングすることがあるとみえて、ついに鉄道のカルテル規制を容認する法律が成立した。この法律は「Reed-Bulwinkle法」（1948年）という鉄道のカルテルを許容する法律である。鉄道のカルテル規制は独占禁止法を根拠にしてはできなくなったという法律である。ところが、この問題とまったく同じ問題がわが国でも起こるようになった。つまり、運輸産業あるいはその関連産業が公正取引委員会の摘発をうける例がそれである。新潟市のタクシー・カルテル事件あるいは郵船航空のカルテル事件（控訴中）がそれである。「アメリカ的市場検察」の時代に入ったということであろうか。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[				<p>　アメリカのイリノイ州で、鉄道運賃と倉庫料金の規制を求めて起された集団的運動、「グレンジャー・ムーブメント」（1870-77）が鉄道の社会的責任を世の中に知らしめた最初の事件であった。その後は、各州が独立に州法を制定して運賃規制に乗り出した。規制政策を先行させたイリノイ州のような州では最高運賃制を制定する例が多かった（同州は後に撤回して「リーズナブル運賃」に変更したが、１９世紀末に再度最高運賃制を導入した。）。イリノイ州に同調するどうかであるが、統制は取れていたとはいえない。</p>
				<p>　南北戦争以後の１０年間は西部の農民にとっては鉄道貨物運賃は高いように見えた（トンマイル当たり1.26セント）が、シカゴを中心に東の鉄道３社の運賃は1880年には0.81セント、90年には0.66セントにまで低下した。各州の鉄道の経営状態が違うだけでなく、鉄道の投機的行動から格差が広がり、激しい運賃引き下げ競争（運賃戦争）が常態化するようになった。州政府も為す術が無くなり、統制が取れないと見た連邦政府は鉄道に対する（運賃政策のような）社会的責任は連邦裁判所のものであるとしたが、州政府はグレンジャー事件に対する警察権は州政府のものであると強く主張した。運賃政策をめぐって州政府主義（ステイテイズム）と連邦主義（フェデラリズム）の意見が分かれた。そのあおりは鉄道も農民もともにうける結果となった。</p>
				<p>　この点はフランスの政治思想家トクビルが１９世紀に指摘したところである。アメリカ政府は司法中心国家であり、統治とか支配という思想はなく州政府の立法を上院で調整するというシステムである（cf.アレクシス・トクビル「アメリカのデモクラシー」（1835年刊）、日本語訳・岩波文庫（2005.11刊））</p>
				<p>　州議会でも投票で決するのであるから、ロビイスト政治となるだけでなく、審議がますます遅れるから、「審議促進法」（１９世紀末）という法律が成立したが、経済問題がいつも政治問題化することになる。その結果として生まれたのが州際通商委員会（ICC、1887年設立）である。交通規制政策を専門とする独立規制委員会であり、学者によっては第３の政府であるという。</p>
				<p>　ところが、規制政策の執行委員会として反独占委員会ができ、時としてICCとバッテイングすることがある。アメリカでは反独占委員会が設立されたのは1890年であるが、ICCに遅れることわずか３年である。もちろん中身は違うけれども、産業規制法という意味では共通している。つまり、両者はケンカ法なのである。共存できなかったときはどう裁くのかいささか気なるところである。</p>
				<p>　たとえばタフト大統領のようにICCを重視して、反独占法は無視したという例がある。ところがこれでは統制が取れない。しかし、州際通商法とアンタイ・トラスト法がバッテイングすることがあるとみえて、ついに鉄道のカルテル規制を容認する法律が成立した。この法律は「Reed-Bulwinkle法」（1948年）という鉄道のカルテルを許容する法律である。鉄道のカルテル規制は独占禁止法を根拠にしてはできなくなったという法律である。ところが、この問題とまったく同じ問題がわが国でも起こるようになった。つまり、運輸産業あるいはその関連産業が公正取引委員会の摘発をうける例がそれである。新潟市のタクシー・カルテル事件あるいは郵船航空のカルテル事件（控訴中）がそれである。「アメリカ的市場検察」の時代に入ったということであろうか。</p>
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		<title>第35回　アメリカの鉄道政策史（９）　グレンジャー運動をめぐる混乱</title>
		<link>http://www.t-renmei.or.jp/column/?p=145</link>
		<comments>http://www.t-renmei.or.jp/column/?p=145#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 25 Aug 2011 00:00:07 +0000</pubDate>
		<dc:creator>t-renmei</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[物流]]></category>

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		<description><![CDATA[				　アメリカの「鉄道問題」は、鉄道運賃と倉庫料金の規制を求めて起された集団的運動である「グレンジャー・ムーブメント」（1870－77年）によって混乱が生じ、それに応えてイリノイ州が鉄道に対する全米初の「経済的規制」（1871年）を導入したことから他の州にも広がりを持つようになった。しかし州による規制には様々な困難が付き纏った。イリノイ州ではローレンス判事によって違憲だとする意見によって反対されたことから農民運動の意味が広く知れ渡り、1871年には最高運賃制による法案が成立したが、革命に近い危険な状態であったといわれる。ローレンス判事は次の選挙で再選されずに、判事が提起した違憲性の問題は脇において、運賃を単なる技術的問題（運賃規制の方法）に絞って議会を通過させる形（最高運賃制）で片付けた。
				　運賃・倉庫料金の規制に動いたイリノイ州議会（1871年と73年）を真似る州も出たが、各州の事情もあり統一が取れた訳ではなかった。その背後にはイリノイ・プレイリーという大平原があり、アメリカはちょうどその頃「3つの農業革命が起こり、ヨーロッパ大陸をヒンターランドにした穀倉地帯の地位を築いた」（既述）時期でもあった。アメリカにおける農業生産は1870年以後、急速に拡大した。その理由は何と言ってもアメリカ国内における交通（鉄道）の普及である。いくつかのルートによってヨーロッパ大陸に輸送された農産物の輸出総額は、3億6,100万ドル（1870年）、4億3,000万ドル（1875年）、6億8,600万ドル（1880年）、5億3,000万ドル（1885年）というように1870年代に急増している。移住者は土地を無償で入手でき、その間にジョバー（卸売り商人）がマーケテイングを担い、海上輸送もその頃から鉄船に転換した時期であったから輸送面の障害は改善されていた。そうなると多方面から穀物やメーズ（トウモロコシ）がヨーロッパ市場目がけて流れた。
				　このようにヨーロッパ市場には世界各地から小麦やその他の殻物が到着したから価格の低落も大きかった。農産物固有な価格変動が発生したのである。それでなくても鉄道の独占性に対する批判はそれ以前から強く出ており、農産物のように生産量に応じて価格が変動するものとは違い、鉄道運賃に対する農民の素朴な疑問や不満が蓄積されていった。穀物サイロや倉庫料金についても同様であり、運賃・料金批判が高まった。特に差別運賃とリベートに対する批判が強かった。同様にアメリカ内陸部に向けて移民が広がっていった。州によって運賃が違うから、荷主である農民は鉄道に対して低運賃となるように運賃競争を求めた。鉄道サイドは運賃値下げに反対する。そこに利害の衝突が起こり紛争の原因になるのという展開であった。農民は売れば売るほど債務がかさばる結果となった。これが「グレンジャー運動」の引き金になったのである。
				　輸送ルートの選択（ルート・アサインメント）でも、例えばカナダ経由が有利であるとか、ミシシッピー川を下ってメキシコ湾に出た方が有利であるとか輸送上のコスト差も無視できなかった。各州の運賃規制や税制がまったく違うことから農民と鉄道に逆の効果を生むようになった。農民に有利な運賃は鉄道に不利になり、鉄道の採算性が低下する。ポター法（既述）という低運賃を決めたウィスコンシン州の鉄道は配当が払えないだけでなく、投資が少なくなるなど弊害が出るようになった。そのため、低運賃を目的としたポター法はわずかに２年で廃止となった。かくして運賃の州規制はばらばらになり、連邦規制の方向を目指すようになった。これが「州際通商法」である。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[				<p>　アメリカの「鉄道問題」は、鉄道運賃と倉庫料金の規制を求めて起された集団的運動である「グレンジャー・ムーブメント」（1870－77年）によって混乱が生じ、それに応えてイリノイ州が鉄道に対する全米初の「経済的規制」（1871年）を導入したことから他の州にも広がりを持つようになった。しかし州による規制には様々な困難が付き纏った。イリノイ州ではローレンス判事によって違憲だとする意見によって反対されたことから農民運動の意味が広く知れ渡り、1871年には最高運賃制による法案が成立したが、革命に近い危険な状態であったといわれる。ローレンス判事は次の選挙で再選されずに、判事が提起した違憲性の問題は脇において、運賃を単なる技術的問題（運賃規制の方法）に絞って議会を通過させる形（最高運賃制）で片付けた。<br />
				　運賃・倉庫料金の規制に動いたイリノイ州議会（1871年と73年）を真似る州も出たが、各州の事情もあり統一が取れた訳ではなかった。その背後にはイリノイ・プレイリーという大平原があり、アメリカはちょうどその頃「3つの農業革命が起こり、ヨーロッパ大陸をヒンターランドにした穀倉地帯の地位を築いた」（既述）時期でもあった。アメリカにおける農業生産は1870年以後、急速に拡大した。その理由は何と言ってもアメリカ国内における交通（鉄道）の普及である。いくつかのルートによってヨーロッパ大陸に輸送された農産物の輸出総額は、3億6,100万ドル（1870年）、4億3,000万ドル（1875年）、6億8,600万ドル（1880年）、5億3,000万ドル（1885年）というように1870年代に急増している。移住者は土地を無償で入手でき、その間にジョバー（卸売り商人）がマーケテイングを担い、海上輸送もその頃から鉄船に転換した時期であったから輸送面の障害は改善されていた。そうなると多方面から穀物やメーズ（トウモロコシ）がヨーロッパ市場目がけて流れた。<br />
				　このようにヨーロッパ市場には世界各地から小麦やその他の殻物が到着したから価格の低落も大きかった。農産物固有な価格変動が発生したのである。それでなくても鉄道の独占性に対する批判はそれ以前から強く出ており、農産物のように生産量に応じて価格が変動するものとは違い、鉄道運賃に対する農民の素朴な疑問や不満が蓄積されていった。穀物サイロや倉庫料金についても同様であり、運賃・料金批判が高まった。特に差別運賃とリベートに対する批判が強かった。同様にアメリカ内陸部に向けて移民が広がっていった。州によって運賃が違うから、荷主である農民は鉄道に対して低運賃となるように運賃競争を求めた。鉄道サイドは運賃値下げに反対する。そこに利害の衝突が起こり紛争の原因になるのという展開であった。農民は売れば売るほど債務がかさばる結果となった。これが「グレンジャー運動」の引き金になったのである。<br />
				　輸送ルートの選択（ルート・アサインメント）でも、例えばカナダ経由が有利であるとか、ミシシッピー川を下ってメキシコ湾に出た方が有利であるとか輸送上のコスト差も無視できなかった。各州の運賃規制や税制がまったく違うことから農民と鉄道に逆の効果を生むようになった。農民に有利な運賃は鉄道に不利になり、鉄道の採算性が低下する。ポター法（既述）という低運賃を決めたウィスコンシン州の鉄道は配当が払えないだけでなく、投資が少なくなるなど弊害が出るようになった。そのため、低運賃を目的としたポター法はわずかに２年で廃止となった。かくして運賃の州規制はばらばらになり、連邦規制の方向を目指すようになった。これが「州際通商法」である。</p>
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		<title>第34回　アメリカの鉄道政策史（８）　グレンジャー法</title>
		<link>http://www.t-renmei.or.jp/column/?p=141</link>
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		<pubDate>Mon, 25 Jul 2011 01:34:02 +0000</pubDate>
		<dc:creator>t-renmei</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[物流]]></category>

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		<description><![CDATA[				　アメリカの、いわゆる「鉄道問題」は、南北戦争終了後（1865年）に農民を中心にして不満が高まったことから生じた問題であった。農民（farmer）の中の農民運動に参加した集団がグレンジャー（Granger）であるが、その数が多くなると農民でないもの（unproductive）も参加した。鉄道運賃と倉庫料金の規制を求めて起こした集団的運動が「グレンジャー・ムーブメント」であり、後世に名が残る運動であった。（100年以上経った1990年代の初めにグレンジャー運動を対象にした研究論文（政治の計量分析）の例がある。）
				　その運動に応えて真っ先に鉄道運賃・倉庫料金の規制に動いたのはイリノイ州議会（1871年と73年）であった。その背後にはイリノイ・プレイリーという大平原があり、アメリカではちょうどその頃「3つの農業革命が起こり、ヨーロッパ大陸をヒンターランドにした穀倉地帯の地位を築いた。」
				　70年代の後半から80年代の初めにかけて、グレンジャー・アジテーションと呼ばれる旋風が起こり、鉄道規制が広がった。ネブラスカ、カンザス、ミズーリーなどの州が鉄道規制に成功した州であった。
				　イリノイ州は「プレイリー・ステート」といわれ大草原の中心州として、鉄道規制法の成立に指導的役割を演ずる一方、後の連邦規制法「州際通商法」（Interstate Commerce Act）の制定に決定的役割を果たした。各州で成立した法律が「グレンジャー法」であり、コミッショナー制を採用した例が多かった。旅客運賃は「最高運賃制」にし、貨物運賃は「距離比例制」（pro rata）とした。ミネソタ州でもイリノイ州を真似て法律を制定したが、ミネソタ州の特有な事情からグレンジャー法を維持することが困難であった。鉄道会社もそれぞれ事情が違っていたことが原因であるが、運賃は差別運賃が広く行き渡っており、リベートを支払うことが当然なことであった。株式についてはストック・ウオーターリング（水増し株）、従って低配当が横行、などと取引慣行は乱れていた。グレンジャーの力が強い鉄道路線は「グレンジャー線」と呼ばれた。1874年には、アイオワ州とウィスコンシン州も鉄道法を制定したが、アイオワ州では連邦政府から受けたランド・グランツを新規鉄道の建設に回したりしたため、鉄道会社は次の立法行動を期待するようになった。1874年のアイオワ州法は農民にとっては満足にいくものであった。というのは農民のほとんどがグレンジャーであったからである。ウィスコンシン州ではポター法（Potter Law）という法律を制定し、鉄道貨物運賃を不当に低くしたため。鉄道会社との関係が悪化した。自社の法律顧問の勧告に従って、アレクサンダー・ミッチェル社長は州知事に書簡を送り法律を無視する旨を伝えた。
				　このような具体例から明らかなように、州知事あるいは州政府と鉄道会社の関係は悪化が常態になった。このことは徐々に州政府の規制能力の欠如、規制政策の濫用、悪用となり、次第に地方政府から連邦政府への移管の動きが強くなった。
				　フェデラリズム（連邦主義）がさまざまな分野で高まってきた最初は、1887年の「インターステート・コマース・コミッション」（ICC）の成立であるが、鉄道によってスタートしたことによって、閉鎖社会が開放的になっていった。アメリカでいえば金鉱・銀鉱を求めて大西洋岸から太平洋岸に向かって人も物も動いた。南北戦争の終結までは連邦政府のランド・グランツ、州政府の財政的補助という支援によって鉄道と政府は蜜月関係を築いてきたが南北戦争の終了後は政府は鉄道を規制する立場に立つようになった。それがアメリカの鉄道の弱体化の最大の原因であるという意見は多い。この検証は容易ではないが、否定できない面の多い命題である。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[				<p>　アメリカの、いわゆる「鉄道問題」は、南北戦争終了後（1865年）に農民を中心にして不満が高まったことから生じた問題であった。農民（farmer）の中の農民運動に参加した集団がグレンジャー（Granger）であるが、その数が多くなると農民でないもの（unproductive）も参加した。鉄道運賃と倉庫料金の規制を求めて起こした集団的運動が「グレンジャー・ムーブメント」であり、後世に名が残る運動であった。（100年以上経った1990年代の初めにグレンジャー運動を対象にした研究論文（政治の計量分析）の例がある。）</p>
				<p>　その運動に応えて真っ先に鉄道運賃・倉庫料金の規制に動いたのはイリノイ州議会（1871年と73年）であった。その背後にはイリノイ・プレイリーという大平原があり、アメリカではちょうどその頃「3つの農業革命が起こり、ヨーロッパ大陸をヒンターランドにした穀倉地帯の地位を築いた。」</p>
				<p>　70年代の後半から80年代の初めにかけて、グレンジャー・アジテーションと呼ばれる旋風が起こり、鉄道規制が広がった。ネブラスカ、カンザス、ミズーリーなどの州が鉄道規制に成功した州であった。</p>
				<p>　イリノイ州は「プレイリー・ステート」といわれ大草原の中心州として、鉄道規制法の成立に指導的役割を演ずる一方、後の連邦規制法「州際通商法」（Interstate Commerce Act）の制定に決定的役割を果たした。各州で成立した法律が「グレンジャー法」であり、コミッショナー制を採用した例が多かった。旅客運賃は「最高運賃制」にし、貨物運賃は「距離比例制」（pro rata）とした。ミネソタ州でもイリノイ州を真似て法律を制定したが、ミネソタ州の特有な事情からグレンジャー法を維持することが困難であった。鉄道会社もそれぞれ事情が違っていたことが原因であるが、運賃は差別運賃が広く行き渡っており、リベートを支払うことが当然なことであった。株式についてはストック・ウオーターリング（水増し株）、従って低配当が横行、などと取引慣行は乱れていた。グレンジャーの力が強い鉄道路線は「グレンジャー線」と呼ばれた。1874年には、アイオワ州とウィスコンシン州も鉄道法を制定したが、アイオワ州では連邦政府から受けたランド・グランツを新規鉄道の建設に回したりしたため、鉄道会社は次の立法行動を期待するようになった。1874年のアイオワ州法は農民にとっては満足にいくものであった。というのは農民のほとんどがグレンジャーであったからである。ウィスコンシン州ではポター法（Potter Law）という法律を制定し、鉄道貨物運賃を不当に低くしたため。鉄道会社との関係が悪化した。自社の法律顧問の勧告に従って、アレクサンダー・ミッチェル社長は州知事に書簡を送り法律を無視する旨を伝えた。</p>
				<p>　このような具体例から明らかなように、州知事あるいは州政府と鉄道会社の関係は悪化が常態になった。このことは徐々に州政府の規制能力の欠如、規制政策の濫用、悪用となり、次第に地方政府から連邦政府への移管の動きが強くなった。</p>
				<p>　フェデラリズム（連邦主義）がさまざまな分野で高まってきた最初は、1887年の「インターステート・コマース・コミッション」（ICC）の成立であるが、鉄道によってスタートしたことによって、閉鎖社会が開放的になっていった。アメリカでいえば金鉱・銀鉱を求めて大西洋岸から太平洋岸に向かって人も物も動いた。南北戦争の終結までは連邦政府のランド・グランツ、州政府の財政的補助という支援によって鉄道と政府は蜜月関係を築いてきたが南北戦争の終了後は政府は鉄道を規制する立場に立つようになった。それがアメリカの鉄道の弱体化の最大の原因であるという意見は多い。この検証は容易ではないが、否定できない面の多い命題である。</p>
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