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第14回 物流と通運業――鉄道貨物輸送のクロノロジ-(年代記)―

  • 2009-11-25 (水) 9:00
  • 物流

 前回は、国鉄貨物輸送のクロノロジー(年代記)について述べたが、いまから振り返ってみればたから号の試運転(昭和34年)からフレート・ライナーが導入された昭和44年(1969年)の10年間は国鉄の歴史はじまって以来の激動期であり、いまにして思えばよくも生き残ったという感じの方が強い。それは識者からの批判があったからというより、日本経済の工業化(重化学工業化)、技術革新による新製品の急増、エネルギー転換など日本経済の高度成長を特徴づけるさまざまな変化の鉄道輸送との親和性(鉄道経済発展が不可能な状態)が強かったとはいえないからである。この時期はちょうど自動車化時代の夜明けの時期でもあり、鉄道貨物輸送への期待が大きかったとはいえない。ただ経済の経済成長のおかげで存続を許されたような状態であった。そのことを反発ばねにして反対を押し切って瀬戸際作戦を展開したと理解すべきであろう。貨物輸送でいえばその瀬戸際作戦が「コンテナ化」であり、「高速直行列車化」であった。鉄道輸送は長期的には期待される存在ではなくなっていた。通運貨物も1960年代の半ばまでは繁忙状態が続いたが、新混載制度の導入(昭和40年)によって急速に萎んだ。しからば5トン・コンテナは失敗であったかといえば、どうやらそうではなさそうである(内航海運の長老に尋ねたところ高い評価をしておられた。積み替えなしに細街路に入れるという利点もある)。わが国の鉄道輸送にとって理にかなっているということである。とはいっても何事もそうであるが、都合のよいこと悪いこと、有利なこと不利なことのバランスがとれるとはいえない。というようなわけで国鉄貨物輸送にとってコンテナ化政策は列車体系の高速化と共に避けて通れなかった戦略であったという見方が成立するといってよかろう。

 このコンテナ化戦略を達成されたのは故橋元雅司氏(元国鉄副総裁)であり、国鉄貨物輸送の近代化に大きな足跡を残されたことは率直に評価すべきであろう。国鉄の長老がヤード(操車場)経由の集結輸送こそがもっとも効率的輸送システムであると堅く信じておられる中での高速直行体系へのシステム・チェンジは大きな事業であった。

 こうしてみるとコンテナ化と列車体系の近代化は鉄道貨物輸送近代化の双子の兄弟であることがよくわかる。しかし、その背後には筆舌に尽くしがたい苦難があったことを忘れるわけにはいかないであろう。その第1は、国鉄財政の赤字化が進み、それが原因になって経営の財政責任が年々強くなっていった。第2はそれに関連して労働組合運動が熾烈になり経営環境が大きく変化した。第3は一般物価の高騰から運賃・料金の引き上げが凍結されることが多く財政責任が極度に悪化したことなどが大きな特徴である。要するに企業体としての国鉄は崩壊し、国鉄貨物輸送システムをベースにして自社の物流システムを構築しようとした東芝のような企業に大きな損害を与えた。今にしておもえば国の責任、企業の責任があいまいであったといわざるをえないであろう(例えば公共料金を規制して私企業に負担を強制しても責任をとろうとしない。)。

 コンテナ化というきわめて具体的なテーマから入りながら、国鉄問題にまで脱線したが物流における経営問題は次から次に後を絶たない難しい状態が続いている。

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