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第27回 アメリカの鉄道政策史(1) 鉄道導入以前の交通

  • 2010-12-24 (金) 9:00
  • 物流

 今回からアメリカの鉄道政策史と題して、鉄道の歴史について述べてみたい。古い話が中心になるが、アメリカの交通が辿ってきた歴史は今から考えると想像を絶する栄光と苦難の歴史であった。1903年に出版されたハドレー(A.T.Hadley)の「鉄道輸送」という著書によれば、「100年前のアメリカは交通システムを持っていなかった。天然の水路を除けばいかなる種類の交通も貧弱であった。ローカルの必要のために地方政府によって道路が建設されていたが悪路であった。馬車輸送はのろく金がかかった。ボストンからニューヨークに行くのに駅馬車で一週間を要し、チャールストンに行くのに3週間かかった。頻度の高いルートであったが3週間に一度の郵便があっただけであった。…長距離輸送は絶対的に不可能であった。木材一本を20マイル運ぶのに3ドルかかった。一樽の小麦粉を運ぶのに5ドルかかった。この運賃は貨物の値段を2倍にするだけの運賃であった。海岸部で1ポンドあたり1セントの塩が300マイル内陸に入ると6セントになり、その差がそっくり輸送費であった。」

 アメリカは建国当初は13州で構成されており、順次州を買収していくのであるが、最初の州の買収が「ルイジアナ・パーチェイス(Louisiana Purchase)」であった。アメリカ合衆国という言葉の通りまさしく州が中心であり、交通体系の整備も市や郡から州から始まり最大の課題であった。ニューヨーク州に対抗したペンシルバニア州が最初であった。運河交通(「平水運送」)に適した川がない。

 しかし、ヨーロッパからアメリカ大陸に入植する場合に最大の難関は、有名なアレゲニー山脈のような峻険な山をどうして越えるかであった。1807年にフルトンの蒸気船が発明され、1811年にオハイオ川にはじめて導入された。蒸気船の発明は内陸水路の交通を飛躍的に発展させた。広く利用されるようになったのは、それから後れること6年後の1817年であるが、この蒸気船のおかげでピッツバーグ、シンシナティ、セントルイスが飛躍的に発展したといわれる。

 1816年から1840年の期間は「運河期」と呼ばれる。大規模な運河建設期は1812年の戦争(イギリス遠征)以後といわれるが、もっとも有名なものがハドソン川とエリー湖を結ぶエリー運河である。この水路は1817年に時のニューヨーク州知事デイット・クリントンによって提案されたものであり、オールバニーからバッファローまで364マイルを800万ドルで建設しようというものである。これが開通したのは1825年であるが、これによってアメリカ大陸の開拓者の夢であった大西洋岸と内陸部を直角に結ぶルートが完成したことになる。これがアメリカの「内陸商業革命」と呼ばれるものである。1835年には、小麦粉8万6000バレル、小麦8000万ブッシュル、その他250万樽がニューヨーク港に運ばれたといわれる。この運河は、1880年代まで生き残り続けるのであるが、鉄道輸送と熾烈な戦いをしたことでも有名である。しかし、いかんせん冬季の凍結が災いして運賃が安くても(全天候性に優れる)鉄道には太刀打ちできなかった。

 それだけではなく、ミシシッピー川の河川輸送という大敵が現れた。言うまでもなくミシシッピー川は南北を流れるアメリカ大陸の大河であり、通過地に南北戦争(1860年―1865年)の激戦地があっただけでなく、上り下りの流れを利用することになるから速度差が避けられない。流れを速くしたのが河口の防波堤であり、河口都市ニューオーリンズの防波堤がその例である。それによってエリー運河が大打撃を受けることとなった。ニューオーリンズの防波堤がエリー運河を殺したのである。ミシシッピー河の流れが速くなり、エリー運河から貨物がミシシッピー河の利用に転換したのである。河川輸送が運河との競争に勝ったという珍しい構図である。

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