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第44回 アメリカの鉄道政策史(18) セオドア・ルーズベルト大統領の鉄道政策

  • 2012-05-25 (金) 9:00
  • 物流

 セオドア・ルーズベルトが大統領に就任したのは1901年であった。その前の大統領のウイリアム・マッキンリー(William McKinley)が、その年の9月に暗殺されたためその後を襲って就任したのである。マッキンリー大統領がなぜ暗殺されたのか、その真相はアメリカの貨幣制度をめぐる論争がからんでいた思われるふしがある。アメリカは本位制度を巡って岐路にたっていた(銀産地では金本位に転換することを嫌っていた)。マッキンリーはそれには積極的な態度を示さなかったばかりか、鉄道政策についてもICC(州際通商委員会)が有効に機能するように法整備は出来上がっていたのにそれを有効に機能させることを怠っていた。1890年にはアンタイ・トラスト法も制定されているのに規制に向かって動く気配は一向にみられなかった。それどころか辣腕家として有名な共和党のセオドア・ルーズベルト(1858-1919)を2期目のマッキンリー政権の副大統領に就任させて、その力を削ぐことを考えていた。政府の力が強くなることに反対する勢力が強くなっていたという背景があり、マッキンリーはICCの機能を高めてトラストを規制することには消極的であった。

 その結果、マッキンリーは1901年9月に暗殺され、その直後にルーズベルトが大統領に就任することとなった(次の大統領の暗殺事件は1960年代のケネデイーの暗殺である)。大統領に就任したルーズベルトの最初の仕事は鉄道であった。それは、時の司法長官のノックス(Philander C. Knox (1853-1921)がシャーマン法に則ったノーザン証券会社の解散問題を審査していたことが理由であった。

 この会社は、北西部の大鉄道会社3社(ノーザン・パシフィック、グレート・ノーザン、バーリントン)を所有する巨大な持株会社であり、ハリマンとヒルがバーリントン鉄道をめぐって戦って手に入れた巨大会社であった。ハリマンはイリノイ・セントラルの有力者であり、1898年には破綻寸前のユニオン・パシフィックを手に入れた。ハリマンはユニオン・パシフィックを再建させてから続いて1901年にサザン・パシフィックの経営権を手に入れた。このサザン・パシフィックという会社は、アメリカの大陸横断鉄道を建設した「ビッグ・フォー」(4巨頭)の最後の生き残りでありアメリカ鉄道史上有名なハンテイントン(Collis  P. Huntinton)が建設した鉄道であるが、ハンテイントンはハリマンに乗っ取られる前年の1900年にこの世を去っていた。さらにハリマンはバーリントンを手に入れることによってシカゴへの参入を狙っていた。しかし、同時にモルガンをバックにして自分の北部鉄道にバーリントン鉄道を付け加えるところまではいった。しかし、ウオール街での最終戦争はノーザン・セキュリテイー会社の創設に参加した敵対者が参加して終わりを告げた。もちろんこの巨大な「鉄道トラスト」が何を、どこまで狙っていたかは分からない。しかし、1904年に最高裁判所は持ち株会社を違法の判決を下し、ノーザン・セキュリティー会社の解体を命じた。しかしながら、鉄道会社3社の株式所有関係はほとんど変わらずじまいであり、バーリントン鉄道株だけはグレート・ノーザン鉄道とノーザン・パシフィック鉄道の中に残った。

 ルーズベルトは、1901年に大統領に就任してから、1903年までに2件の鉄道関係立法に成功している。

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