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第8回 序論-物流と通運業(七続)-

  • 2009-05-25 (月) 9:00
  • 物流

 前回までオバマ大統領の新政策「グリーン・ニューディール」について述べているうちに、1930年代のルーズベルト大統領のニューディール政策にいってしまった。読者にお赦し頂かなければならないが、私としてはルーズベルト大統領がなぜニューディール政策を登場させたのか、その理由をはっきりさせておきたかったからである。その理由は一にも二にも資本主義の危機といわれるほどの危機を迎えたからであるが、これほどの大きな危機を迎えたのであれば資本主義に代わる経済体制を模索してもおかしくはない。しかし、ルーズベルト大統領は資本主義的市場主義を否定せず「修正資本主義」をねらった。

 ルーズベルト大統領が修正資本主義を目的にしてニューディール政策を実行したしたのはなぜか。これについては多くの学者の意見がある。最も多い意見は当時すでに世界的な経済学者であったジョン・メイナード・ケインズの学説に従ったという意見であった。確かにケインズはニューディール政策が導入される以前に「自由放任の終焉」という著書があるから、その影響を受けたといえなくもない。しかし、この点の証明はされてはいないようである。ルーズベルト大統領は確かにケインズと面談している。しかし、(私の記憶では)ケインズの影響が大きかったという証拠はなさそうである。このことはおそらく経済学者の共通の認識になっているといってよかろう。そうなるとルーズベルト大統領とケインズの間に認識のずれがあったのか、両者の間の共通の認識があったとすればどの点か、が問題になる。修正資本主義という点では両者は共通しているが具体的には共通点は乏しい。金融政策におけるグラスステイーガル法にしても交通政策における規制政策にしても、どこまでニューディール政策に関連しているのかはっきりしない。つまり、ルーズベルト大統領のニューディール政策の形成過程についてはもうひとつ釈然としない部分がある。

 私は、仮説に過ぎないが当時イギリスを中心にさかんだった「経済計画論争」の中に答えがあるのではないかと思っている。その顛末は、ロシアにおけるボルシェビキ革命(ロシア革命)によって社会主義政権(1917年)が誕生したためロシアは計画経済に移行する。それを契機に1920年代のロシアの工業化(重工業化)を促進したことはよく知られている。計画経済の絶頂期であった。かたやアメリカは第一次世界大戦後の好況期を迎えるがが、イギリスは為替の旧平価解禁(1925年)により輸出が減少し、わが国は金融恐慌(1927年)とそれに続く経済恐慌(1930年)に陥っていた。その結果社会主義勢力が台頭するという事態を迎えていた。

 その頃、奇しくもイギリスでは有名な「経済計画論争」が展開されていた。計画経済か市場経済かを巡るの論争である。イギリスでは市場経済派が勝利を収めるが、フェビアン社会主義による労働党政権が誕生し、労働組合主義(トレードユニオニズム)が広がる。

 問題は、この論争がアメリカの経済政策にどんな影響を与えたかである。アメリカ版経済計画がニューディール政策ではなかったか。我が国では勝間田清一、稲葉秀三など昭和研究会の人々が逮捕された。という形の影響があったし、その後の「物動計画」(物資動員計画)や戦後の経済計画・国土計画(全国総合開発計画)などに大きな足跡を残した。戦後の経済企画庁を中心とした官庁エコノミスト(計画官僚)が飛躍的な影響力を行使するようになった。その一方で経済計画嫌いの吉田茂、中曽根康弘といったリベラル派の政治家を輩出した。中でも中曽根は国鉄民営化に主導的影響を残したことでも有名である。アメリカではルーズベルト政権下の1941年(昭和16年)に自由に関する再定義を余儀なくされている。なぜか。これは次回に残したい。

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