- 2009-06-25 (木) 9:00
- 物流
前回はルーズベルト大統領のニューデイール政策とオバマ大統領のグリーン・ニューデイール政策の関連を述べるつもりであったが、ルーズベルト大統領のニューデイール政策の性格が計画経済論(イギリスの論争)の影響を受けているといえるかどうか、受けているとすればアメリカの建国以来の自由主義とは平仄が合うのか。その辺が気になったので年表を調べてみたら、面白いことを発見した。それが1941年の「4つの自由」である。ルーズベルト大統領が1941年にあえて「4つ自由」(表現の自由、集会の自由など)を提示したのはなぜか。自由主義国家であることを宣言したのは、ソ連という社会主義国家の創立(1917年)に対する対抗意識からか、それともイギリスの経済計画論争への掣肘からか。いずれにせよ、1941年といえば日本が太平洋戦争を仕掛けた年である(12月8日開戦)。そのおなじ年に自由の再定義をしたのはなぜか。そのことが第二次大戦後の世界戦略とどのように関係するのか興味はつきない。私の解釈ではこの4つの自由が第二次大戦後のアメリカの世界戦略の前提になっていたという解釈がなりたつと思う。アメリカの人口は現在3億人くらいであるが私の記憶では2億人になったのは1967年であった。多くの移民がアメリカに上陸した。それでもアメリカの自由主義は変質しないのか。本当に自由主義であることに誇り自信をもっているのか、つきない興味が生まれる。
ところがアメリカは基本的自由をベースにした自由主義国家として君臨するのであるが、ここで2つの問題が発生することになる。一つは戦後アメリカ自由主義は諸外国の認識とどこまで調和できたかである。その後の展開はアメリカが考えていたようには進まず、とてつもなく大きな壁に突き当たってきたのではないか。1980年代のベルリンの壁の崩壊にいたる「世界的冷戦体制」に逢着したことによって脆弱な体制を生んでしまったのではないか。特に最近の経済危機はアメリカの政治・経済体制の劣化の原因になるのではないか。
戦後のアメリカによる日本支配の思想を大きく変わったと同様に、(アメリカの近隣窮乏化政策から脱皮して)経済的自律・対米キャッチアップ・ポリシー・高度経済成長路線をひた走ることができた時代は終わったとうべきであろう。
いまではすっかり忘れられているが、自動車国産是非論が論争になったことがある。国産反対派はアメリカの巨大な自動車工業に勝てない、それだけでなく経済学の比較生産費説が教えるように自動車はアメリカから輸入すればよいと主張した。それに対して国産推進派は、戦前から自動車工業の萌芽はすであり、技術陣もそれなりにあり、航空機製造から人材活用ができることなどの条件(基礎的要素条件)があることなどから自動車工業は十分に成立しうること主張した。推進派の主流は当時の通産官僚であった。
このような組立工業(特に自動車工業)の発展は1970年代になってからであるが、それまでに鉄,電器、精密機械などすでに基礎的工業化が進んでいた。このような戦後の工業化の担い手は戦前からの財閥ではなく、自動車、電器などは歴史的新参者であった。これによって日本の工業化の位相(スペクトラム)は大きく広がった。
アメリカとイギリスを振りかって見るとどうか。アメリカの自動車工業はいまやみるかげもない。ジェネラル・モーター、フォード、クライスラーのどれをとっても虫の息である。デトロイトの凋落ぶりは過酷である。鉄鋼生産にしても世界市場に占める地位はもはやいうまでもない。いままさに日本の立ち位置を明確にしなければならない。
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