- 2009-07-24 (金) 9:00
- 物流
これまで8回にわたって本題から離れた問題について述べてきた。昨年の9月15日にはじまった金融危機の世界的波及が気になり、8回にわたってアメリカ経済を中心に書いた。それはもういいという感じをもたれた方もあるかもしれないが、港湾運送の近代化の話は通運の問題と共通するところがあるから、アメリカの話が続くことになるがあえて述べておきたい。物流のイノベーションの中でもコンテナ化がこんな効果をもったのかと思うほど「革命的」といってよいほど画期的なことであるからあえて述べておきたいというわけである。
世の中はアダム・スミスが指摘するようなバランスの取れた例ばかりでないことはいくらでもある(アダム・スミスの楽観論の否定)。自由社会を夢見て社会を自由にしたら社会は混乱し、あげくの果てに戦争になった例があることを指摘するのがポランニ(ハンガリーの経済学者の著書「大転換」(1944年))である。
鉄道の歴史でも同様である。アメリカの鉄道がスタガース法(1980年)の成立によって再編成が進み「大転換」を遂げたことは周知の通りである。ダブルスタック・トレーンや48フィートコンテナの導入などによって画期的な変化を遂げた。実はこのことがパナマ運河に壊滅的な影響をあたえる結果となったのである。これからは私の推測であるが、ロサンゼルス港の荷役の効率化を梃子にした(ミニ・ランドブリッジ)によってサービス水準が格段に向上し、ついにパナマ運河が輸送システムとしての存廃の危機を迎えるようになったのである。パナマ運河の「見かけ上の独占」によって料金の引き下げをしなかったために需要が低下し、パナマの国家財政が痛手を被ったというわけである。これはいくつかの「教訓」を残した。海上運賃は陸上運賃より安いというのが一般的通念であるが、その通念を打ち砕いた。
物流の歴史にはこの種の話はごまんとある。巨額な設備が一夜にして灰塵に帰するのである。アメリカの鉄道史を見れば、例に事欠かない。ヨーロッパの投機資金がアメリカめがけて上陸し、25万マイルに及ぶ投資をしたまではよかったが、やがて社会変動によって鉄道破綻が起こり、鉄道救済のための「破産法」が誕生した。これが現在の会社更生法の元祖である。大きくて潰せない。アメリカの鉄道はそれほど大きかったのである。パナマ運河はどうなるのだろうか。気になることばかりである。
似たような話は空港でもある。中継機能をもつアンカレッジにはかつての賑わいはない。中継空港としては陳腐化したのである。物理的には固定設備であったとしても経済的には価値がなくなったという例はいくらでもある。固定施設は不動産ではあるがその役割は年々歳々変わっていく。このことは誰でも頭ではわかっていても、その変化はなかなかわからない。このような変化は「経済的可変性」(エコノミック・タンジビリティー)といい最近注目されるようになった概念である。通運業は「ターミナル・オペレーター」という辺りが一番近い表現であるが、社会的価値とは何か。そんなことを綴ってみたい。大見得を切らないように気をつけながら述べてみたい。
30年くらい前の話であるが物流のプロ中のプロである森田さん(当時・日通総研常務取締役)が私に「通運のことはさっぱりわからない」といわれてびっくりしたことがある。その後にもう一回同じことを聞いた。これが私の頭から離れない。いったい通運とは何か。これが森田さんから受け継いだテーマである。
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