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第13回 物流と通運業――鉄道貨物輸送のクロノロジー(年代記)―

  • 2009-10-23 (金) 9:00
  • 物流

 前回は、鉄道輸送のクロノロジーと題して、貨物輸送の話について述べた。今回以後、鉄道輸送を細分化して「鉄道輸送の近代化」という視点から述べてみたい。今風にいえば物流の近代化の鉄道版ということになる。物流の要素は、包装、荷役、保管、輸送、情報・連絡に5分割されるのが慣わしである。これはいわば「機能的分類」、昔流に言えば「職能別」分類である。これだけを見れば中身もわかったような気になるが、実はそのひとつ一つがさらに分類してみないと実態がわからない。しかし、この話をしだすと長くなるから、必要に応じて触れることにする(括りすぎると実態を見失う危険がある。たとえば経済学における市場は独占と競争という二分法で括る傾向が長く続いた。)つまり、市場の「スペクトラム」(位相)という感覚がない。かって著名なイギリスの経済学者のJ.R.ヒックスは1939年に出版されて「価値と資本」という著書の中で完全競争という仮説を除くと経済学は難破するといったことがある。なぜならば不完全競争といえば中身がたくさんあって特定化できないからである。その辺を見抜いたわが国の有名な商法学者で東大教授の田中耕太郎(商法)は「商的色彩」という言い方で商取引の「スペクトラム思考」をしておられた。ついでにいえば田中教授は大学の組織論「学の独立」(教授機能と管理機能の関係の曖昧さ、つまり教職者の経営管理へのコミットメントの程度と範囲)について強烈な歴史を残した)。要するに「スペクトラム思考」をすればさまざまな組み合わせが可能になり複雑な世界になる。社会を論ずる場合には何らかの「仮説」を立てないと理論にならない。「小さな社会の方が宇宙飛行より難しい」というのはその辺のことをいう。

 前回述べたことは、国鉄貨物輸送がコンテナ輸送中心のシステムに転換したプロセスについてであった。しかし、もう少し述べておく必要があろう。たから号の試運転以後、コンテナ化(パレット化とともにユニット化という)の話題は国鉄貨物の何パーセントがユニット化できるかであった。外航海運ではコンテナ船が出て大型化の方向にあったが果たして国鉄貨物輸送にどこまで適用できるかが最大の焦点であった。外航海運は荷役の近代化によるクイック・デスパッチの効果が大きく鉄道の場合とは性格が違っていた。運航距離も違うから鉄道にすぐは応用できないという見方が支配的であった。だから国鉄貨物輸送のコンテナ化にはほとんど乗り気ではなかった。というより貨物局の幹部はおおきなディレンマに突き当たった。駅施設から近代化しなければならない。着発線―荷役線―荷役ホームを全部近代化しなければならない。やがて訪れる自動車輸送との競争を意識すれば近代化が不可欠である。高度成長期には通運貨物は盛況期に入っており、国鉄も通運も大規模なシステム転換に向かう迫力はでてこない。わかってはいるが、その気にならないというディレンマである。日通総合研究所の大森社長が声高に「協同一貫輸送」(コンテナ化・パレット化)の重要性を唱導されたが現場は(「3種の神器」の急成長、東京オリンピックなど)毎日が忙しくそれどころではなかった、ということであろう。当時(60年代(昭和30年代後半)前半)が通運事業の絶頂期であった。ここで貨物局は「物資別輸送」に効率化の活路を求め始めた。高速化(地域間急行-いわゆる「地急」)、大規模ターミナル、ヤードの近代化などー荷役の近代化から始まった物流の近代化が輸送の高速化・ターミナルの大規模化という鉄道貨物輸送の近代化である。その間、つまりたから号の試運転からフレートライナー列車の導入まで10年―この期は「システム・チェンジの10年」である。しかし、自動車輸送との激突の10年でもあった。

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