岡田清先生の「物流清話」
第13回 物流と通運業――鉄道貨物輸送のクロノロジー(年代記)―
- 2009-10-23 (金)
- 物流
前回は、鉄道輸送のクロノロジーと題して、貨物輸送の話について述べた。今回以後、鉄道輸送を細分化して「鉄道輸送の近代化」という視点から述べてみたい。今風にいえば物流の近代化の鉄道版ということになる。物流の要素は、包装、荷役、保管、輸送、情報・連絡に5分割されるのが慣わしである。これはいわば「機能的分類」、昔流に言えば「職能別」分類である。これだけを見れば中身もわかったような気になるが、実はそのひとつ一つがさらに分類してみないと実態がわからない。しかし、この話をしだすと長くなるから、必要に応じて触れることにする(括りすぎると実態を見失う危険がある。たとえば経済学における市場は独占と競争という二分法で括る傾向が長く続いた。)つまり、市場の「スペクトラム」(位相)という感覚がない。かって著名なイギリスの経済学者のJ.R.ヒックスは1939年に出版されて「価値と資本」という著書の中で完全競争という仮説を除くと経済学は難破するといったことがある。なぜならば不完全競争といえば中身がたくさんあって特定化できないからである。その辺を見抜いたわが国の有名な商法学者で東大教授の田中耕太郎(商法)は「商的色彩」という言い方で商取引の「スペクトラム思考」をしておられた。ついでにいえば田中教授は大学の組織論「学の独立」(教授機能と管理機能の関係の曖昧さ、つまり教職者の経営管理へのコミットメントの程度と範囲)について強烈な歴史を残した)。要するに「スペクトラム思考」をすればさまざまな組み合わせが可能になり複雑な世界になる。社会を論ずる場合には何らかの「仮説」を立てないと理論にならない。「小さな社会の方が宇宙飛行より難しい」というのはその辺のことをいう。
前回述べたことは、国鉄貨物輸送がコンテナ輸送中心のシステムに転換したプロセスについてであった。しかし、もう少し述べておく必要があろう。たから号の試運転以後、コンテナ化(パレット化とともにユニット化という)の話題は国鉄貨物の何パーセントがユニット化できるかであった。外航海運ではコンテナ船が出て大型化の方向にあったが果たして国鉄貨物輸送にどこまで適用できるかが最大の焦点であった。外航海運は荷役の近代化によるクイック・デスパッチの効果が大きく鉄道の場合とは性格が違っていた。運航距離も違うから鉄道にすぐは応用できないという見方が支配的であった。だから国鉄貨物輸送のコンテナ化にはほとんど乗り気ではなかった。というより貨物局の幹部はおおきなディレンマに突き当たった。駅施設から近代化しなければならない。着発線―荷役線―荷役ホームを全部近代化しなければならない。やがて訪れる自動車輸送との競争を意識すれば近代化が不可欠である。高度成長期には通運貨物は盛況期に入っており、国鉄も通運も大規模なシステム転換に向かう迫力はでてこない。わかってはいるが、その気にならないというディレンマである。日通総合研究所の大森社長が声高に「協同一貫輸送」(コンテナ化・パレット化)の重要性を唱導されたが現場は(「3種の神器」の急成長、東京オリンピックなど)毎日が忙しくそれどころではなかった、ということであろう。当時(60年代(昭和30年代後半)前半)が通運事業の絶頂期であった。ここで貨物局は「物資別輸送」に効率化の活路を求め始めた。高速化(地域間急行-いわゆる「地急」)、大規模ターミナル、ヤードの近代化などー荷役の近代化から始まった物流の近代化が輸送の高速化・ターミナルの大規模化という鉄道貨物輸送の近代化である。その間、つまりたから号の試運転からフレートライナー列車の導入まで10年―この期は「システム・チェンジの10年」である。しかし、自動車輸送との激突の10年でもあった。
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第12回 物流と通運業――鉄道輸送のクロノロジ-(年代記)――
- 2009-09-25 (金)
- 物流
今年は国鉄コンテナ列車(たから号)が初めて運転されてから50周年になるという。それと因縁めいた話がある東名高速道路も全線開通してから40周年になる。
そのこともあって今回は国鉄貨物輸送の変遷について、振り返って見たい。たから号が運転された昭和34年(1959年)といえば日本経済の高度成長が始まった年である。高度成長という言葉もその頃から使われるようになった。私の記憶では社会資本という言葉もその頃生まれた言葉である。東海道新幹線が国鉄関係者の間で話題になり始めていた。確か東京駅を何処にするかという問題が話題になった。その後の展開は昭和39年(1964年)の開通まで新幹線問題一色であった。東名高速も同様であるが、整備財源は世銀借款であり、国鉄から立花さんという方が世銀に派遣されていた時代であり、鉄道も道路も容量不足が深刻であった。どうしても都市間旅客列車の容量拡大が優先され、貨物列車が軽視される癖がついたのはそのころからであろう。それはなぜかあまり検証されたことがない。
当時の工業化は重化学工業化と呼ばれたように鉄、石炭、石油などが中心の工業化であり、「3種の神器」と呼ばれたカメラ、テレビ、洗濯機が鉄道輸送力を圧迫したということではない。電器、ミシン、洗濯機、ガラス工業品などの工業化の規模拡大か進行するにつれて徐々に車扱混載(通運貨物)が活発になり、黄金時代を迎えた。そのため、鉄道輸送力の不足状態が続いた(東芝物流の上村さんは早くから鉄道を中心に据えた物流システムの構築を意識していた。おそらく企業物流の構築を意識したはしりであろう。当時松下電器の物流は卸売業が支配しておりその要請に応じてトラックで運んでいた。つまり、メーカー物流の構築に努力した東芝物流と流通サイドに準拠した松下の違いがはっきりした。やがてメーカーが物流に関心を示して物流システム構築の重要性を強く意識するようになり現在にいたっている)。物流が受身の世界から販売戦略の手段になった。それが鉄道サイドの通運業に対する信頼の低下を生み両者の緊張関係を高める原因になった。このことがやがて国鉄貨物のコンテナ化の引き金になるのであるが、それは決して容易なことではなかった。
それは物流が鉄道からトラック輸送に転換する大きな動機となった。集結輸送体系と馴染むかどうか、線路容量は大丈夫か、在来のシステムでトラック輸送と競争しようと思えばヤードパスをしなければならない。線路容量は旅客輸送とバッティングする。国鉄側の悩みは深い。通運に対する圧力が高まり新混載制度を模索するようになった。これが通運には大きな打撃となった。
5トンコンテナ、いわゆる「ゴトコン」を採用するようになったのは、昭和38年頃である。混載貨物の平均ロットサイズが5トン程度であったからである。実際には3.5トン程度であり、混載輸送とはまるっきり違う代物である。一言で言えば儲からない輸送システムである。勢い古い輸送システムの方がよいということになる。
運賃面ではトラックの影が付きまとう。運賃を下げればトラックも下げる。経済学でいう「シュタッケルベルク競争」が生まれる。貨物がトラックに逃げる。その上、政府は公共料金規制によって価格政策硬直化させたから、賃金と物価の関係がいびつになる。こうして物価政策が結構厳しくボデイーブローのように効いてくる。そのあおりを受けて車扱混載は細るばかりである。国鉄にとってはのこされた逃げ道は革命的なコンテナ革命を利用した「高速直行列車体系」の導入である。「フレートライナー」の導入である。イギリスで導入しているらしい。それっとばかりにイギリスに調査に出かけた。その舞台は原田昇左右さんを中心とした運輸省の政策マンであった。
このようなコンテナ革命は、通運に国鉄と心中するか、それともトラック輸送に重心を移すか分かれ道となった。コンテナ革命はやがて通運にとっては悪魔の熊手となった。
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第11回 物流と通運業――鉄道設備の寿命は無限か――
- 2009-08-25 (火)
- 物流
交通のインフラストラクチャー(線路設備)の寿命はどれくらいの長さかと聞かれてもちょっと分かりにくいというのが正直なところであろう。昔から線路は会計上「取替資産」とみなしてきた。それはどういう意味かといえば、線路延長の長さにもよるが一定の耐用年数を経た後に一挙に取り替えるのではなく毎年少しずつ取り替えるから固定費的というより変動費的だから線路は取替資産として扱うのである。鉄道のように複雑な集合体の費用は固定費なのか変動費なのか分からない。
若い時に運賃・料金を考える機会があったが、「個別原価」とは何かを理解するのに時間がかかった経験がある。だれかが決めた「制度」の問題であると気がついた時にはほっとすると同時にそれはだれがいついかなる理由で決めたのかが気になった。こんな風に鉄道の原価計算は気にしだすと際限がない。鉄道のようなさまざまな設備(部品)の集合システムの価値計算はまことに厄介である。おそらく鉄道の原価計算の専門家はほんの一握りではなかろうか。
ここで前回の話に戻るのであるが、パナマ運河は永久資産なのか、仮に永久資産としても投下資本はどうして回収するのか(資本回収)が問題になる。パナマ運河の資本回収がどうなっているかは知らないが、収入があるということは「残余財産」価値があることを意味する。果たしてパナマ運河は価値があるのかないのかという重大な問題を(パナマ)国は抱え込んだことになる。資本維持の原則はどうなっているのか。話は飛躍するがこの問題はわが国でも「簡保の宿」の問題(認識の不一致)が起こったばかりであるが、ここでは触れない。
一般に施設(固定資産)は、それを使用してもしなくても価値が低下する。利用とは無関係な価値の低下は「陳腐化」(オブソレッセンス)と呼ばれる。使用によって物理的生産能力が低下する現象は資本減耗である。たとえば去年までは100トン生産できた機械が今年は90トンしか生産できなくなった現象は「資本減耗」である。機械は使用することによって価値が低下するから「減価」する。その分を価値計算から引き算(控除)する手続きが「減価償却」である。この減価償却という会計上の手続きが導入され会計学の中にどかっと根を下ろしたのは19世紀に「鉄道」がでてきてからである。資本維持が必要な設備が普及するようになったからである。減価償却制度が会計学の性格を変えてしまった。それ以後の会計学は「現代会計学」と呼ばれる。ここまでの話はいわば教科書的な話であり、ここで書くこともない話かもしれない。
しかし、減価償却という言葉の影に隠れている意味はまことに厄介である犯罪に直結しかねない意味を含んでいる。それは意図的に制度に違背した時であるが、過大に減価償却することは「利潤の費用化」を意味するから利潤隠しと等しい。それを元に運賃・料金計算をすれば詐欺になる。いきおい役所は監査に厳しい。鉄道運賃はもちろん交通関係諸料金問題について理論・制度・(実施)手続きについて徹底的に鍛えられた。なぜそこまでしなければならなかったか。もともとはトーマス・アキナスという哲学者のいう「公正取引論」に由来するのであるが、多くの学者がそのことを知らずに理論を振り回す。こんな話が話題になったのは1980年代であるから、リーガル・ガバナンス(法的統治)がようやく確立した時期である。いまやリーガル・ガバナンスの趨勢は英米法の時代になったということであろう。公共政策の学者でもついていけていないといったら言いすぎであろうか。
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第10回 物流と通運業――パナマ運河の話――
- 2009-07-24 (金)
- 物流
これまで8回にわたって本題から離れた問題について述べてきた。昨年の9月15日にはじまった金融危機の世界的波及が気になり、8回にわたってアメリカ経済を中心に書いた。それはもういいという感じをもたれた方もあるかもしれないが、港湾運送の近代化の話は通運の問題と共通するところがあるから、アメリカの話が続くことになるがあえて述べておきたい。物流のイノベーションの中でもコンテナ化がこんな効果をもったのかと思うほど「革命的」といってよいほど画期的なことであるからあえて述べておきたいというわけである。
世の中はアダム・スミスが指摘するようなバランスの取れた例ばかりでないことはいくらでもある(アダム・スミスの楽観論の否定)。自由社会を夢見て社会を自由にしたら社会は混乱し、あげくの果てに戦争になった例があることを指摘するのがポランニ(ハンガリーの経済学者の著書「大転換」(1944年))である。
鉄道の歴史でも同様である。アメリカの鉄道がスタガース法(1980年)の成立によって再編成が進み「大転換」を遂げたことは周知の通りである。ダブルスタック・トレーンや48フィートコンテナの導入などによって画期的な変化を遂げた。実はこのことがパナマ運河に壊滅的な影響をあたえる結果となったのである。これからは私の推測であるが、ロサンゼルス港の荷役の効率化を梃子にした(ミニ・ランドブリッジ)によってサービス水準が格段に向上し、ついにパナマ運河が輸送システムとしての存廃の危機を迎えるようになったのである。パナマ運河の「見かけ上の独占」によって料金の引き下げをしなかったために需要が低下し、パナマの国家財政が痛手を被ったというわけである。これはいくつかの「教訓」を残した。海上運賃は陸上運賃より安いというのが一般的通念であるが、その通念を打ち砕いた。
物流の歴史にはこの種の話はごまんとある。巨額な設備が一夜にして灰塵に帰するのである。アメリカの鉄道史を見れば、例に事欠かない。ヨーロッパの投機資金がアメリカめがけて上陸し、25万マイルに及ぶ投資をしたまではよかったが、やがて社会変動によって鉄道破綻が起こり、鉄道救済のための「破産法」が誕生した。これが現在の会社更生法の元祖である。大きくて潰せない。アメリカの鉄道はそれほど大きかったのである。パナマ運河はどうなるのだろうか。気になることばかりである。
似たような話は空港でもある。中継機能をもつアンカレッジにはかつての賑わいはない。中継空港としては陳腐化したのである。物理的には固定設備であったとしても経済的には価値がなくなったという例はいくらでもある。固定施設は不動産ではあるがその役割は年々歳々変わっていく。このことは誰でも頭ではわかっていても、その変化はなかなかわからない。このような変化は「経済的可変性」(エコノミック・タンジビリティー)といい最近注目されるようになった概念である。通運業は「ターミナル・オペレーター」という辺りが一番近い表現であるが、社会的価値とは何か。そんなことを綴ってみたい。大見得を切らないように気をつけながら述べてみたい。
30年くらい前の話であるが物流のプロ中のプロである森田さん(当時・日通総研常務取締役)が私に「通運のことはさっぱりわからない」といわれてびっくりしたことがある。その後にもう一回同じことを聞いた。これが私の頭から離れない。いったい通運とは何か。これが森田さんから受け継いだテーマである。
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第9回 序論-物流と通運業(八続)-
- 2009-06-25 (木)
- 物流
前回はルーズベルト大統領のニューデイール政策とオバマ大統領のグリーン・ニューデイール政策の関連を述べるつもりであったが、ルーズベルト大統領のニューデイール政策の性格が計画経済論(イギリスの論争)の影響を受けているといえるかどうか、受けているとすればアメリカの建国以来の自由主義とは平仄が合うのか。その辺が気になったので年表を調べてみたら、面白いことを発見した。それが1941年の「4つの自由」である。ルーズベルト大統領が1941年にあえて「4つ自由」(表現の自由、集会の自由など)を提示したのはなぜか。自由主義国家であることを宣言したのは、ソ連という社会主義国家の創立(1917年)に対する対抗意識からか、それともイギリスの経済計画論争への掣肘からか。いずれにせよ、1941年といえば日本が太平洋戦争を仕掛けた年である(12月8日開戦)。そのおなじ年に自由の再定義をしたのはなぜか。そのことが第二次大戦後の世界戦略とどのように関係するのか興味はつきない。私の解釈ではこの4つの自由が第二次大戦後のアメリカの世界戦略の前提になっていたという解釈がなりたつと思う。アメリカの人口は現在3億人くらいであるが私の記憶では2億人になったのは1967年であった。多くの移民がアメリカに上陸した。それでもアメリカの自由主義は変質しないのか。本当に自由主義であることに誇り自信をもっているのか、つきない興味が生まれる。
ところがアメリカは基本的自由をベースにした自由主義国家として君臨するのであるが、ここで2つの問題が発生することになる。一つは戦後アメリカ自由主義は諸外国の認識とどこまで調和できたかである。その後の展開はアメリカが考えていたようには進まず、とてつもなく大きな壁に突き当たってきたのではないか。1980年代のベルリンの壁の崩壊にいたる「世界的冷戦体制」に逢着したことによって脆弱な体制を生んでしまったのではないか。特に最近の経済危機はアメリカの政治・経済体制の劣化の原因になるのではないか。
戦後のアメリカによる日本支配の思想を大きく変わったと同様に、(アメリカの近隣窮乏化政策から脱皮して)経済的自律・対米キャッチアップ・ポリシー・高度経済成長路線をひた走ることができた時代は終わったとうべきであろう。
いまではすっかり忘れられているが、自動車国産是非論が論争になったことがある。国産反対派はアメリカの巨大な自動車工業に勝てない、それだけでなく経済学の比較生産費説が教えるように自動車はアメリカから輸入すればよいと主張した。それに対して国産推進派は、戦前から自動車工業の萌芽はすであり、技術陣もそれなりにあり、航空機製造から人材活用ができることなどの条件(基礎的要素条件)があることなどから自動車工業は十分に成立しうること主張した。推進派の主流は当時の通産官僚であった。
このような組立工業(特に自動車工業)の発展は1970年代になってからであるが、それまでに鉄,電器、精密機械などすでに基礎的工業化が進んでいた。このような戦後の工業化の担い手は戦前からの財閥ではなく、自動車、電器などは歴史的新参者であった。これによって日本の工業化の位相(スペクトラム)は大きく広がった。
アメリカとイギリスを振りかって見るとどうか。アメリカの自動車工業はいまやみるかげもない。ジェネラル・モーター、フォード、クライスラーのどれをとっても虫の息である。デトロイトの凋落ぶりは過酷である。鉄鋼生産にしても世界市場に占める地位はもはやいうまでもない。いままさに日本の立ち位置を明確にしなければならない。
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第8回 序論-物流と通運業(七続)-
- 2009-05-25 (月)
- 物流
前回までオバマ大統領の新政策「グリーン・ニューディール」について述べているうちに、1930年代のルーズベルト大統領のニューディール政策にいってしまった。読者にお赦し頂かなければならないが、私としてはルーズベルト大統領がなぜニューディール政策を登場させたのか、その理由をはっきりさせておきたかったからである。その理由は一にも二にも資本主義の危機といわれるほどの危機を迎えたからであるが、これほどの大きな危機を迎えたのであれば資本主義に代わる経済体制を模索してもおかしくはない。しかし、ルーズベルト大統領は資本主義的市場主義を否定せず「修正資本主義」をねらった。
ルーズベルト大統領が修正資本主義を目的にしてニューディール政策を実行したしたのはなぜか。これについては多くの学者の意見がある。最も多い意見は当時すでに世界的な経済学者であったジョン・メイナード・ケインズの学説に従ったという意見であった。確かにケインズはニューディール政策が導入される以前に「自由放任の終焉」という著書があるから、その影響を受けたといえなくもない。しかし、この点の証明はされてはいないようである。ルーズベルト大統領は確かにケインズと面談している。しかし、(私の記憶では)ケインズの影響が大きかったという証拠はなさそうである。このことはおそらく経済学者の共通の認識になっているといってよかろう。そうなるとルーズベルト大統領とケインズの間に認識のずれがあったのか、両者の間の共通の認識があったとすればどの点か、が問題になる。修正資本主義という点では両者は共通しているが具体的には共通点は乏しい。金融政策におけるグラスステイーガル法にしても交通政策における規制政策にしても、どこまでニューディール政策に関連しているのかはっきりしない。つまり、ルーズベルト大統領のニューディール政策の形成過程についてはもうひとつ釈然としない部分がある。
私は、仮説に過ぎないが当時イギリスを中心にさかんだった「経済計画論争」の中に答えがあるのではないかと思っている。その顛末は、ロシアにおけるボルシェビキ革命(ロシア革命)によって社会主義政権(1917年)が誕生したためロシアは計画経済に移行する。それを契機に1920年代のロシアの工業化(重工業化)を促進したことはよく知られている。計画経済の絶頂期であった。かたやアメリカは第一次世界大戦後の好況期を迎えるがが、イギリスは為替の旧平価解禁(1925年)により輸出が減少し、わが国は金融恐慌(1927年)とそれに続く経済恐慌(1930年)に陥っていた。その結果社会主義勢力が台頭するという事態を迎えていた。
その頃、奇しくもイギリスでは有名な「経済計画論争」が展開されていた。計画経済か市場経済かを巡るの論争である。イギリスでは市場経済派が勝利を収めるが、フェビアン社会主義による労働党政権が誕生し、労働組合主義(トレードユニオニズム)が広がる。
問題は、この論争がアメリカの経済政策にどんな影響を与えたかである。アメリカ版経済計画がニューディール政策ではなかったか。我が国では勝間田清一、稲葉秀三など昭和研究会の人々が逮捕された。という形の影響があったし、その後の「物動計画」(物資動員計画)や戦後の経済計画・国土計画(全国総合開発計画)などに大きな足跡を残した。戦後の経済企画庁を中心とした官庁エコノミスト(計画官僚)が飛躍的な影響力を行使するようになった。その一方で経済計画嫌いの吉田茂、中曽根康弘といったリベラル派の政治家を輩出した。中でも中曽根は国鉄民営化に主導的影響を残したことでも有名である。アメリカではルーズベルト政権下の1941年(昭和16年)に自由に関する再定義を余儀なくされている。なぜか。これは次回に残したい。
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第7回 序論-物流と通運業(六続)-
- 2009-04-24 (金)
- 物流
今回もアメリカの経済政策について述べることになり、いささか気になるが、お赦し頂きたい。前回、オバマ政権の経済政策はニュー・ケインジアン(新ケインズ主義)がグリーン・ニューディールという衣をまとったものであると書いた。これが具体的にどういう形をとって現れるかが見ものということであろう。すでに悲観論が出てきた。その理由は、ないそでは振るえないという一語に尽きるようである。一兆ドルという財政赤字を抱えてケインズ主義もないものだという醒めた目で見ているからであろう。ごく最近の報道によると、新しい経済諮問委員長の要職についてローマー女史も鐘や太鼓で民間資金のかき集めに動き出したという。ローマー女史といえばニュー・ケインジアンとして有名であるが、どこまで力量を発揮できるか世界のエコノミストが注目することになるであろう(ニュー・ケインジアンについては追って説明したい)。金融部門の再建問題は、FRB(連邦準備制度理事会)のバーナンキ理事長のあの手この手の金融支援(住宅の買上げを含む)によって改善の方向に行ったとしてもアメリカの最大の産業である自動車産業の再建が順調に軌道に乗るかという大問題を抱えている。中でも部品工業に占める日本企業の比重が大きいところでは日本にも影響が出るという問題もあるという。今回の金融危機から生まれた経済危機を読みにくくさせているのはまさにこの点にあるといってよさそうである。
前回の話のつもりで書いているうちに経済評論家の評論風になってきたことは内心気にはなるがお赦しを頂きたい。というのは経済学者が生々しい経済問題を論ずることには気をつけなければいけないといわれてきたし、論理的整合性を軽視して直感的な感想をいうべきではないという一種の矜持が学者のモラルだいわれてきた。その意味でもお赦しを請わなければならない。
当初の予定は、アメリカのニューデイール政策(大きな政府)とアメリカの自由主義思想(小さな政府)とは果して整合性が取れるものなのか、これまで続いてきた新自由主義との関係はオバマ大統領になったことによってどうなるのかという大きな問題について書く予定であった。この点をはっきりさせておかないとこれからのアメリカの経済政策が読めなくなると思ったからである。
1930年代のニューディール政策については評価が完全に固まっていないというのが本当のところであろう。1930年代の大不況はニューディール政策によって復興したという見方と、ニューディール政策はあまり効果がなく、戦争経済になって初めて好況になったという見方とが依然として拮抗しているのが実態である。そんな具合であるから、前にも述べたようにオバマ政権のグリーン・ニューデイール政策に対する評価も決して高くはない。
1930年代のルーズベルト大統領のニューディール政策に対する評価が高くないのはなぜか。これが私の抱いていた疑問点であった。通念としては高い評価をえていたニューディール政策も本当のところはどうだったのか。この疑問は完全には消えていないが、ルーズベルト大統領はトラウマのように頭から離れなかったことがあったのではないか。それは「自由主義」ではなかったか。アメリカの建国以来の自由主義思想を不況脱出のために侵害してよいかどうか。そこでルーズベルト大統領は日米開戦の直前に「自由の再定義」をしているのである。私にとっては小さな発見であった。
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第6回 序論-物流と通運業(五続)-
- 2009-03-25 (水)
- 物流
今回も本題から離れることが気になるが歴史的な激動期であり、どうしてもアメリカから目が離せないことに免じて、お赦し頂きたい。
問題は、アメリカの新しいオバマ大統領の就任によってアメリカの経済政策がどのように変わるかである。これまで報道されているところではとりあえず金融安定化政策を先行させ、続いて「グリーン・ニュー・ディール政策」を推進するという方向を目指し、経済成長と雇用を重視するといわれている。一部の学者が指摘するように「新ケインズ主義」(市場原理主義と違って価格や賃金の変動に期待しない)ではないかと考えられている。果たして新ケインズ主義といえるのかどうかは別の機会に検証してみたいが、今回はブッシュ大統領の政策についてとりあえず2つのことを指摘しておきたい。
ひとつはブッシュ政権の新自由主義政策の特色は何であったかである。新自由主義といえばイギリスのサッチャー政権もそうであり、共通するところは金融・保険制度の民営化・規制緩和(銀行証券の垣根の撤廃=グラス・スティーガル法の撤廃)であるとか小さな政府を目指したことであろう。わが国の小泉政権もほぼ完全に追随したといっても間違いあるまい。交通分野の航空、自動車の規制緩和(カーター政権時に競争による価格低下を予想)は1980年代にほぼ完了しているから目だった動きはなかった。目だったのは資本取引の自由化が進み、わが国では金融商品取引法の成立によって投資信託などの金融商品が大きな市場に膨れ上がった。それと同時にリスク商品が氾濫した。ブッシュ政権の経済政策を一皮剥いてみると政治的色彩が強かったことに気がつく。
それは2つに集約される。ひとつは、ブッシュ大統領が最初の選挙でゴアに辛勝したときから、アメリカのキリスト教右派の路線に乗ったことである。このことがブッシュの政治に大きな影響を残した。もうひとつは、かってロンドン・エコノミストがアメリカの政治をロビイストという「見えざる手」によってあやつられていると揶揄したように経済政策に対するロビイストの影響が強い。金融危機ももとをただせばゴールドマンサックスを初めとするウオール街のロビイストの仕業である。この2つのことが車の両輪として、ブッシュ政権の経済政策を決定づけたといってまず間違いない。
キリスト教右派はどんな影響を与えたのか。ここにダーウインの進化論(1859年出版だから今年は150年)が出てくる。キリスト教右派は進化論を否定する。宇宙は神の創造物であり万古不変であるのに進化論はそれを否定する理論であるからキリスト教の精神に反するから学校で教えてはならない。アメリカの南部諸州では進化論はタブーである。自然のままが全てである。この思想は人為的経済政策の排除に通ずる。かくしてブッシュの思想と規制緩和論はぴたっと呼吸が合う。だからオバマ新大統領はブッシュ時代には許されなかった妊娠中絶を真っ先に認めた。これはキリスト教右派の影響が低下した証拠である。経済政策についても公共事業を認めたり(ケインズ政策)、さまざまな政府規制もやりやすくなるであろう。大きな政府の到来であり、アメリカ経済の社会主義化であると週刊誌は囃し始めた。中でも重要なものが380万人の雇用創出政策である。すでに労働組合が結成しやすくなった(コオポラティズムの制度化)という情報も伝わっている。しかし政府の財政赤字は一兆ドルにせまっている。1兆ドルの外貨準備を持つ中国、9000億ドルの外貨準備を持つ日本からの支援は不可欠であろう。怒涛のような外資攻勢とは様変わりである。その時日本はどうする。
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第5回 序論-物流と通運業(四続)-
- 2009-02-25 (水)
- 物流
今回もアメリカの歴史から話を起こすことになり、本題から離れることをお赦し頂きたい。
アメリカの新しいオバマ大統領の就任という歴史的変革期に差し掛かり、アメリカは果たしてどっちに向かっていくのか、世界的関心事となっている。新 聞雑 誌で伝えられているのは、昨年(08年)9月15日に倒産したリーマン・ブラザーズの破綻を契機に発生した金融危機を脱却するために、新自由主義的経済政 策脱して新しい経済政策を展開するだろうということである。1930年代のフランクリン・ルーズベルトの政策「ニュー・ディ―ル政策」に似た政策を展開す るのではないかというのが一般的予想である。ニューディール政策と同じではなくてもまずは雇用問題に積極的に取り組むのではないかともいわれている。今の 段階ではそんなところが課題のようである。金融危機対策はFRBを中心にかなり進んだので、その効果を待って雇用確保に移行するのかもしれない。というこ とは金融危機対策が第2ステージに入ったという認識であろう。
ついでいえば国の経済政策の中に完全雇用政策が「ケインズ政策」として導入されたのは第二次大戦後のことであるが、これまでの新自由主義の下では破棄・あるいは軽視されてきた。というのは新自由主義経済学者のハイエクやミルトン・フリードマンによれば、失業はすべて自分から進んで職を辞するのであって (自発的失業)、首を切られる失業(非自発的失業)はない(つまりケインズ的失業は存在しない)ということになっているからである。
ところが金融危機の下で、わが国でも雇用問題がすでに問題になっていることは雑誌などで伝えられている通りである。雇用対策を積極的に推進するということは新自由主義政策からケインズ政策に返るということである。オバマ政権が際立った政策として雇用問題を取り上げるということは、具体的には職業教育制度や 職業斡旋制度あるいは派遣業法などの改廃問題にかかわってくることになるものと思われる。しかし、これは隠れた人種差別問題(逆差別)を含めて複雑な問題 を秘めている。これにどこまで踏み込むかにもよるがオバマ大統領の歴史的功績になるかもしれない。とはいえ、広く考えると決して容易ではない。それは労働 生産性の問題、賃金問題、その波及効果としてのインフレ問題やアメリカ経済の国際競争力と密接にかかわる問題であるだけに決して容易な問題ではなかろう。
オバマ新政権が金融政策(規制政策)についてどこまで介入していくかも大きな問題である。金融政策はインフレとデフレがいつも隣り合わせの関係にあり、 ものの生産(実物経済)の死命を制する役割をするから、経済運営が難しくなる。金融危機を救済するために流動性を豊富に供給すれば、それに見合う生産が追 いつくことが必須の要件であるが、デフレが長引くと豊富なお金が行き場を失う。経済がうまく回っている時には金利を下げるとそれに見合う資金需要が生まれ るが、金利を下げても資金需要が高まらないと「流動性の罠」(金利が資金需給を調節する機能をしなくなる)にはまることになり、金利政策による景気回復機 能は頓挫して景気回復が遅れる。国際金融にもさまざまな問題が生まれる。アメリカ経済の競争力がどこまで低下しているかにもよるが、おそらくいっそうの円高ドル安は不可避であろう。これまでのようなドル高を維持できなくなり、国際経済は縮小傾向に向かうことも予想される。というようなわけで金融危機の回復過程にはまだ予断を許さない問題が多い。
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第4回 序論-物流と通運業(三続)-
- 2009-01-23 (金)
- 物流
再度脱線することになり気が引けるが、去る9月15日リーマン・ブラザーズの破綻から始まった金融危機から目が離せなくなったのが原因であるから、お赦しいただきたい。
アメリカにおける投資会社(インベストメント・バンク)の歴史は、鉄道建設の歴史と切っても切れない歴史的関係があり、前から強い関心をもってはい た。 アメリカの鉄道は1865年の南北戦争を契機に飛躍的に延びるのであるが、19世紀末には実に25万マイル(40万キロ)という膨大な鉄道網を建設した国 である。それだけでなく南北戦争後には一年で実に3万マイルという鉄道網を建設している。
その建設費の資金調達はイギリスを初めとするヨーロッパ諸国に頼るのであるが、その仲介をしたのがいわゆる「投資銀行」であった。モルガンスタン レーで あるとかクーンレーブ(合併によって名前が消えた)というような銀行であった。だからわが国の商業銀行とは違っている。いまは消えた日本興業銀行(国策銀 行)に似ているがわが国と違って生まれも育ちも民営である。前にこの欄で書いた3万社に及ぶ農業金融会社(大恐慌期)とも違う。だからアメリカの投資銀行 は鉄道建設と共に栄えた銀行であった。それが住宅金融にも及んでいったのである。これは何を意味するかといえば、古くは鉄道金融いまでは住宅金融が投資銀 行の重点分野となった。住宅ローンの証券化というわが国ではなじみの薄いビジネスが大きく膨らんだ。ひと言でいえば規制緩和という金融業の業態革命の結果 起こった事件であるということである。
金融業は比較的最近まで業態毎に垣根をおいていたバランスが1980年代以後の規制緩和によって垣根がくずれて熾烈な競争が起こるようになった。ア メリ カの例でいえばグラス・スティーガル法(1933年)が廃止されたため、銀行業と証券業の境界がなくなり、金融の証券化が一挙に進んだ。もともと金融業は リスクとリターンの組み合わせを商品にして売買することが仕事であるから、ケインズが言った投機的動機によって貨幣が所有されるようになるとスワップが活 発になる。その極め付きがCDS(クレジット・デフォールト・スワップ)である。信用破綻の確率の売買市場である。返す当てがなくても金利負担だけすれば 住宅の値上がりを期待して住宅を買う。銀行はそれを担保にした借り入れを増やして、それを証券にして他人に売る。その証券が破綻すればそれに応じてリスク とリターンが決まるというものである。グリーンスパンの金融政策がそれを可能にしたのである。
わが国でも最近は、政府の「経済財政白書」でさえ「貯蓄から投資へ」とか、「リスクを取れ」といったことを書いたりする「異常な時代」である。危機 一発 の瀬戸際まできていた。似たような話は昭和の初めにわが国でもあった。金解禁(浜口内閣)によってドルが値上がりすると読んだ財閥銀行の頭取がドル買いを したため、時の頭取であった団琢磨や池田成彬が暗殺された。為替差益を求めてドル買いに走ったのが原因である。国際資本取引の自由化は国際金融市場を賭博 市場にする危険性をもっているのである。
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